民主制と大和民族〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜
以下では、筆者は民主制と大和民族を提示する。
画像:https://unsplash.com/ja/写真/Sp70YIWtuM8
1.0 民主制と大和民族
1.1(儒教系統の認識)
大和民族は民主制を善と判断しない。
大和民族は民主制を善と判断しない。より正確には、彼らは民主制を善と判断することを彼らの言葉で表現しない。彼らは彼ら自身の意見を言わないが、彼らは他人の意見を妨害することによって、自己の感情や意見を表現しようとする。
彼らの表現は次である。もしある主体が民主制に反対するならば、彼らはその主体を「ナチス」や「独裁者」と呼ぶ。あるいは、彼らは「俺は日本国の民主制を信じています」と何かを匂わす。
けれども、彼らは次のように表現しない。例えば、彼らは「俺は民主制を善と判断する。だから、俺は自己を統治するシステムとして民主制に賛成する」と表現しない。
それだけでなく、彼らは自己の所属文明も宗教も明らかにしない。彼らは彼ら自身が西欧文明に所属すると表現しないのにも関わらず、彼らは民主制が善であることのように匂わす。
2.0 心理
2.1(儒教系統の認識)
大和民族はひき逃げしたい。
大和民族はひき逃げしたい。つまり、彼らは責任を回避したい。だから、彼らは民主制を善と判断することを彼らの言葉で表現しないし、自己の所属文明を隠して、自己の立ち位置を誤魔化す。
たとえ西欧系統の統治制度、民主制が衰退するとしても、彼らは「西欧はもう古い。これからは中国の時代だ!」と言って、彼らは中国系統の統治システムに飛びつこうとする。かつて、彼らが民主制に飛びついたように。
この時、彼らは今まで民主制に反対する人間を「ナチス」や「独裁者」と呼んできたのにも関わらず、彼らはその行為の応答義務を一切果たそうとしない。彼らはまるで戦前、「鬼畜英米」とアングロ・サクソンと呼んできたが、敗戦すると、「アメリカ万歳」と言って、アングロ・サクソンに媚を売り始めた教師や学者に等しい。
3.0 思考の規範
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