【ちんぽ騎士?】なぜ中央大学の田口善弘の「女子枠」は失敗するのか?
中央大学の田口善弘は女子枠に肯定的である。俺が彼の話し方を見るとき、女子枠は失敗するだろうと予想する。
この文章では、俺は田口善弘の話し方の問題点を提示する。一般的に、大和民族は言語能力を持っていないので、雰囲気(合気の力)に弱い。そのため、政策がなんとなくふわっと決まり、失敗する。
自分の善悪を言え!
問題点
田口善弘は「俺は女子枠を善と判断する。」と自分の言葉で表現していない。
田口善弘は「俺は女子枠を善と判断する。」と自分の言葉で表現していない。田口善弘は善悪を”説明”で誤魔化している。なぜなら、田口善弘はたとえ女子枠が深刻な問題を引き起こすとしても、もし彼が善悪を表現しないならば、彼は女子枠に賛成したことの応答義務(responsibility)を誤魔化すことができる。
この説明による自分の善悪の誤魔化しは典型的である。例えば、「女性は差別されてきたから…」や「日本では、男女比が偏ってる。欧米では~」と説明して、可哀そうな雰囲気(合気の力)を作り、なんとなく女子枠をふわっと作ろうとする。
しかし、そこには、女子枠の善悪に関する議論は存在しない。そもそも、誰も女子枠を善と判断するのか、悪と判断するのかを表現しない。善悪をちゃんと決めないまま、善悪を説明で誤魔化して、なんとなく女子枠がふわっと導入されて、そして失敗する。
なお、田口善弘は「俺は男女平等を善と判断する」と自分の言葉で表現していない。なぜか田口善弘は西欧白人が男女平等をやってるので、日本も平等にするのが当然であるという雰囲気(合気の力)を使用する。
女子枠に関する議論において、「俺らは男女平等を善と判断するのか?」や「俺らはキリスト教徒でないのに、俺らは男女平等にする必要があるのか?」は論じられていない。
また、男女平等の善悪を論じようとすると、例えば、鳥居啓子などが、
「日本は遅れてる」や「差別!」と怒鳴って、男女平等の善悪を「穢れ化」しようとする。
自分の認識を言え!
問題点
田口善弘は「俺は女子枠を平等と認識する。」と自分の言葉で表現していない。
田口善弘は「俺は女子枠を平等と認識する。」と自分の言葉で表現していない。田口善弘は認識を”説明”で誤魔化している。
善悪と同様に、この説明による自分の認識の誤魔化しは典型的である。誰も女子枠を平等と認識するのか、不平等と認識するのかを表現しない。「日本では、男女比が偏っているから…」と説明して、なんとなくふわっと導入しようとする。
まとめ
「俺は女子枠を善と判断する。」
「俺は男女平等を善と判断する。」
「俺は女子枠を男女平等と認識する。」
上記を宣言しろ。話はそれからだ。