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善悪を判断する遺伝子と必要と原因〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜

 以下では、筆者は善悪を判断する遺伝子と必要と原因を提示する。善悪を判断する遺伝子は物質に還元される可能性があるように思える。

しかし、彼の感覚では、たとえある主体がその遺伝子を持つとしても、その主体が善悪の判断を下すことができるのかは不明であるように思える。政治的には、非自動的な「自由意志」が仮定されている。

そこで、彼も判断する主体「判断原因」を仮定する。この時、善悪を判断する遺伝子は原因でなく、必要な対象になる。たとえ必要な対象が存在するとしても、もしその原因が存在しないならば、善悪は判断されない。

1.0 仮定1

今、彼は善悪を判断する遺伝子Aを仮定する。この時、もし彼が善悪と判断する遺伝子Aを持たないならば、彼は善悪の判断を下すことができないのだろうか?当然、この答えはそうである。

では、もし彼が善悪を判断する遺伝子Aを持つならば、彼は善悪の判断を下すことができるのだろうか?当然、この答えは不明であるように思える。もしこの世界の全てが自動的に運動するならば、上記の問いの答えはイエスである。

もしこの世界の全てが完全には自動的に運動しないならば、上記の問いの答えは不明である。しかし、たとえ彼が善悪を判断する遺伝子Aを持つとしても、善悪を判断する原因や主体を持たないならば、彼は善悪を判断しないだろう。なぜなら、そこには、非自動的な原因や意志がさらに必要である。

そこで、彼は、善悪を判断する非自動的な原因や意志を仮定する。

2.0 仮定2

2.1(儒教系統の認識)
彼は善悪を判断する非自動的な原因を仮定する。

彼はそれらを「判断主体(判断原因)」と便宜的に呼ぶ。この時、もし判断主体が善悪を判断する遺伝子Aを持つならば、彼は善悪を判断する能力を持つ。または、もし判断主体が善悪を判断する遺伝子Aを持つならば、彼は善悪を判断することができる。

判断主体は善悪の判断の原因であり、遺伝子Aは判断のために必要なものである。原因と必要の両方が揃って、人間は善悪の判断を下す。さらに、彼は意志を以下で仮定する。

3.0 仮定3

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