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善悪と認識を決定する主体について〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜

 以下では、筆者は善悪と認識を決定する主体について述べるつもりである。

画像:https://unsplash.com/ja/写真/pCfJKUB5bes

1.0 善悪を決定する主体

1.1(儒教系統の認識)
善悪を決定する主体は創造主のみである。

善悪を決定する主体は創造主のみである。言い換えると、創造主のみが善悪を決定する権利を持つ。つまり、統治者階級や選手階級は彼らの善悪を彼ら自身で決定することができない。日常的には、サッカー選手はレッドカードが何であるのかを決定する権利を持たない。同様に、統治者階級や選手階級は彼らの善悪を決定する権利を持たない。

2.0 認識を決定する主体

2.1(儒教系統の認識)
認識を決定する主体は創造主のみである。

認識を決定する主体は創造主のみである。言い換えると、創造主のみが認識を決定する権利を持つ。つまり、統治者階級や選手階級は彼らの認識を彼ら自身で決定することができない。

例えば、認識には、人種や民族に対する認識がある。誰がアイヌ民族であるのか、誰が大和民族であるのかである。アメリカ合衆国では、アメリカ国民が彼らの自己認識を彼ら自身で自由に決定する。しかし、この認識には、問題があり、その認識がx教系統の社会を形成するとは限らない。つまり、アメリカ国民の自己認識は彼ら自身の正当な社会を形成していない。

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