【アン・クレシーニ】平民の自己認識について
平民の自己認識
儒教系統の認識 平民の自己認識はでたらめである。
言い換えると、平民は人種や民族に関してでたらめである。彼らはノリや雰囲気、快不快、感情、好き嫌いで、人種や民族を認識?する。平民階級の特徴には、自己認識(アイデンティティ)のでたらめさがある。
なお、平民は宗教や文明に関してもでたらめである。彼らは文字や言語に関してもでたらめである。
また、平民は彼ら自身の民族認識がでたらめであり、適当なことが”イケてる”と思っているように感じる。彼らはそれが人種や民族に拘らない人権的な私と感じている。
しかし、それは”スペイン系フィリピン人”や「私の夫と白人ハーフの子供を日本人にしてほしい(白人みたいな顔を日本人としてちやほやしてほしい。ただし、奴隷貿易や原爆の投下には聞かないでほしい。なぜなら、白人みたいな顔をした私の子供は日本人。歴史の話は不安だから嫌。ちやほやだけ)人」が存在する。
一般的に、東南アジア人は白人との混血を作り、白人のような顔をした個体を”フィリピン人”や”タイ人”と呼ぶことによって、彼らが美男美女の白人になった気分や雰囲気を味わおうとする。大和民族の民族認識の出鱈目さはこの種のでたらめさである。
具体例1
上記は文系の大学教員の発言である。彼は博士号もまともな英語論文ももっていないだろう(理系水準)。彼は戦前の東北軍人と同様に典型的な百姓上がりであるだろう。
「日本人とは血ではない、日本人とは心である。」。百姓(平民)はこのような自己認識を好む。彼らはなんとなく”聞き心地の良い”こと言って、大和民族や日本国民を決定?しようとする。
また、上記の特徴として、どうとでもとれる単語がある。有馬哲夫は”心”や”愛”といっているが、この単語も単なる誤魔化しに近い。要するに、有馬哲夫は「俺のお気に入りが日本人。俺が嫌いなのは日本人でない」と言っている。
具体例2
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