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#女子枠
#横山広美

7章 雰囲気

雰囲気もまた女子枠の導入に関係する。雰囲気は呪術(シャーマニズム)それ自体である。

俺の認識
(1)大和民族の学者は雰囲気に支配されるので、女子枠が導入される。

例えば、大和民族の学者は西欧白人が差別は悪いや男女平等でないのは悪いのような雰囲気を醸し出すと、彼らもまた差別は悪い、男女平等でないのは悪いと感じるように見える。その結果、彼らは「日本は男女平等でない。それに対して、欧米では、男女平等である」と説明されると、彼らは彼ら自身が間違っていると感じて、彼らは日本国を男女平等にしようとする。

しかし、もし大和民族の学者がキリスト教徒でないならば、そもそも、彼らは差別を悪いと判断する必要はない。彼らは男女不平等を悪いと判断する必要はない。しかし、彼らは雰囲気という呪術に弱く、雰囲気を恐れるので、彼らは男女平等でないのは悪いので、女子枠が必要という雰囲気に支配されて、女子枠を実際に導入する。

これは次の例が典型的である。例えば、小学校のとき、学校でうんこをするのは、非常に悪い行為であった。もしうんこをしたならば、学校中でうわさになって、そのうんこした生徒はうんこくんと呼ばれて、いじめられた。しかし、誰もなぜ生徒がうんこを学校でするのが悪いのかを自分の言葉でちゃんと表現して、判断していない。学校でうんこするのは何となく悪いという雰囲気が存在するのみであった。

この現実例は女子枠の導入に伴う雰囲気にそっくりである。なんとなく日本が欧米と異なるのは悪い。なんとなく、大学の男女の数が同数でないのは悪い。なんとなく、大学の男女の数が同数でないのは差別である。差別は悪い。しかし、理屈や宗教を考慮すると、この種の雰囲気は打破される。日本が欧米と異なるのは悪くなく、男女の数が同数でないのは悪くなく、差別もある宗教では悪くない。

さらに悪いことに、この種の雰囲気を理屈で打破しようとすると、さらなる雰囲気という呪術が繰り出される。例えば、上記の例では、「うわっ、この人、差別は悪くないといった!」や「そんなんだから、日本の大学が衰退した」という捨て台詞を吐き捨てたりする。そうして、「あなたが悪い(でも、私は悪くない)」という雰囲気を作って、雰囲気のおかしさ、呪術のおかしさをしてきすることを穢れ化、祟り化しようとする。

この雰囲気による支配は完全に宗教、信仰、呪術(シャーマニズム)であるが、大和民族はそれを宗教的な何かと認識していない。現実的な例では、合気道の達人の”気”がシャーマニズムの典型的な例である。

8章 理屈

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