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侮辱罪厳罰化の施行に関する民族的な問題点について〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜
インターネット上の誹謗(ひぼう)中傷対策として、侮辱罪の厳罰化に関する改正刑法の規定が7日、施行された。ネットで中傷を受けたプロレスラー木村花さん=当時(22)=が命を絶ったことが見直し議論のきっかけとなり、改正法が6月13日に成立。今後、ネット交流サイト(SNS)などで悪質な中傷を防ぐ効果が期待される。
以下では、俺は侮辱罪厳罰化の施行に関する民族的な問題点について述べるつもりである。大和民族は善悪を判断せずに、彼らは説明して、納得や共感を獲得して、法律を制定するので、彼らは無責任、つまりひき逃げを繰り返す。
画像:https://unsplash.com/photos/Nf4NE_rxNmE
無責任
俺の儒教系統の認識1.1 大和民族は侮辱罪の厳罰化を悪いと判断して、かつその判断を彼らの言葉で表現しない。
大和民族は侮辱罪の厳罰化を悪いと判断して、かつその判断を彼らの言葉で表現しない。そのため、たとえ侮辱罪の厳罰化に関する問題が生じるとしても、責任の所在が存在しない。なぜなら、誰も侮辱罪の厳罰化を善と判断していない。
だから、侮辱罪の厳罰化に関する悪い問題が生じたとき、誰も「君は侮辱罪を善と判断した。しかし、この問題が生じたので、君の判断は間違いであった」と言えない。大和民族は善悪及び善悪の判断を表現しないので、判断に関する矛盾が原理的に生じない。
説明と納得及び共感
俺の儒教系統の認識2.1 大和民族は法律を説明による納得や共感で制定するので、大和民族は法律に関して無責任である。
大和民族は法律を説明による納得や共感で制定するので、大和民族は法律に関して無責任である。例えば、彼らは「木村花が侮辱で自殺した。だから、日本国も侮辱罪を厳罰化すべきである」と説明して、侮辱罪の厳罰化を実行しようとする。
しかし、本来であれば、上記でも述べたように、大和民族は「俺は侮辱罪の厳罰化を善と判断する」とその善悪の判断を表現した後、彼らは侮辱罪の厳罰化を実行するべきである。
思考の規範
俺の儒教系統の思考の規範3.1 もしある主体が法律に関する善悪を判断しないならば、その主体は法律を形成しない。
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