文章化された夢を見るようになった
よく「昭和の人は白黒の夢を見た。テレビが白黒だったからだ」みたいな言説を耳にする。
そんなまさかと思う。
人はテレビばかり見ているわけではない。
いくらテレビが白黒だからって、それ以外の世界はカラーなわけで、とすればずっとテレビにかじりついている奇特な人以外は普通にカラーの夢を見ていたのではないか。
そう思っていたのだが、最近考えをあらためた。
というのも、自分が文章でできた夢を見ていることに気づいたのだ。
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夢の中では、眼の前が紙の色で覆われていて、その上を文字がどんどん流れていく。
何気なく私はそれを読んでいたのだけど、考えてみれば驚くべきことである。
気づけば会社のこととか、日常のことも文章化されていることがあり、夢の中でそれを読んでいる。
文章の夢はずっと続くわけではなくて、普通の夢というか、映像の夢と適宜切り替わりつつ進行する。
どうも、トピックごとに想像するのが楽な方で表示されている気がする。
というのも恋愛する夢はたいてい文章だし、飯を食う夢は映像で流れてくる。
悲しいことに自分は現実の恋愛よりも本の中の恋愛のほうが身近である。
よって文章のほうが想像しやすい。
逆にご飯は文章にしにくいから、映像が用いられているようだ。
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自分は年に100冊ぐらい本を読んでいると思う。
今年は多めで、200冊ぐらいにはなるかもしれない。
「本ばかり読んでいるとバカになる」という山本直樹がかいた漫画があった気がするが、自分は本ばかり読んでいると本で夢を見るという真理に至った。
白黒夢の件もおそらく、日常の出来事はカラーで、テレビ的な出来事は白黒で、と切り替わりながら進行していたのではないか。
体験者の方に詳しくきいてみたいものである。