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私見太宰治

太宰治は闘士なんだなと思った。
つねになにかと戦っている。
旧来の社会と戦わなければならないので左翼活動に足を突っ込んだ。
第一回芥川賞のときは川端康成、およびその背後でうごめく文壇という巨悪(と彼が思っていたもの)と戦った。
戦争のときは、アメリカと戦っているようで、どうも戦争と戦っていたような気がする。

師匠の井伏鱒二とも戦うし、恩人の佐藤春夫とも戦う。
奥さんとも戦う。
子どもとも戦う。
兄弟とも戦う。
友達とも戦う。

敵がいなくなると自分と戦う。
自分で自分を攻撃する。
自分を攻撃する自分とも戦わなければならない。
彼は反省の人である。
彼の小説は彼の反省が充満しているため粘性が高い。

自分と戦うと当然傷ついてしまう。
だから彼には敵がぜひとも必要だった。

戦争など結構な敵である。
戦時中の小説は「津軽」も「お伽草子」も「新釈諸国噺」もからりとしていて面白い。
「吾輩は猫である」めいた雰囲気の黄村おうそん先生シリーズも戦時中の小説だろう。
自分と戦っていない時期だから粘着性が低い。

戦後は反省メインの小説がまた増える。
敵がいなくなって、また自分と戦い始めたのかもしれない。

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