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本を読む本か。あれは罠だ。
憤懣
友人の家が軽くゴミ屋敷になったというので助けに行った。
友人が働いている間に掃除をするのである。
そしてゴミの中から「本を読む本」を見つけた。
またこいつか。
私の周りにはこういった本、読書法的な本が蔓延している。
どの家にもたいてい置いてある。
しかしその家主が読書している雰囲気はあまりない。
利殖とか占いの本くらいしか置いてない。
それでラノベのアニメを見ている。
原作も読んだらいいのだ。
そもそも読書する前に読書の勉強するとか正気の沙汰ではない。
生まれる前に生まれる勉強するやつがいるだろうか。
いや、いない。
読書本はマジで罠
経験上、読書の方法を説明する本は上級者向けである。
日常的に読書する人でないと、読んでもあまりためにならない。
ああいうのは野球でたとえると試合中の駆け引きとか、高度な戦術的なものを教えるための本である。
ルールブックとか、バットの構え方を教えるような本ではない。
大いなる罠だと思う。
読書界隈が衰退しているとすればこの罠のせいではないか
するどい私はそう睨んでいる。
悲劇
普段本を読まない人がふと、
「そうだ、ちょいとばかり小難しい本など読もうかな」と思い立つ。
読書の神の恵みであろう。
ただ読み方がわからない感じがする。
何事も基礎が大切だ。
それで本の読み方を教えてくれる本を探す。
おや、この本なんかどうかな。
"最強の読書術"とか書いてある。
ええやんええやん。
その人は読書本を買って帰る。
家に帰って読む。
さてどうなるか。
むっさつまらない。
実感が湧かない。
内容がぜんぜん頭に入ってこない。
文系の人に応用数学の勉強をさせるようなものだからだ。
理由を知らないこの人は悲嘆する。
ああ、自分は読書の基礎すら習得できないのか。
絶望である。
怒りかもしれない。
読書本をそっと閉じる。
こうして一生本を読まない人のいっちょう上がりである。
けだし悲劇であろう。
人はいかにして読書パワーを授かるべきか
仮に読書力が足りないのであれば、中学校の国語の教科書を読んだらよい。
おとなになってから読むとマジで面白い。
そして読書筋がほどよく刺激される。
字もでかくて爽快だ。
実はほとんどの人はすでに十分な読書戦闘力をもっている。
たぶん高校生くらいからはなんでも行ける。
だから恐れず好きな本を読んだらいいと思う。
食指が動かないなら若干エッチなやつを選んだらいい。
エロスこそがモチベーションである。
勇気
読むにあたっては勇気ないしは適当さをもつべきだ。
本を読んでも内容の90%はその日のうちに忘れてしまう。
のこりの10%も多分10日後には残っていない。
読書とはそもそもそういうものだし、それでいいのである。
全部忘れてしまっても、「得体のしれぬ澱」が脳の奥底に残るものである。
エッチな本を読めばエッチなサムシングが残る。
忘れてもへっちゃらである。
全然わからなくてもとりあえず進むのも大切だ。
実際、本読んでる人の大半はなんもわからず読んでいるのである。
じゃあ何で読んでいるのかというと、本読んでる自分、かっこええやん…と思っているからなのだ。
そういう心構えが肝心だ。
そうこうしているうちに本を定期的に読むようになる。
こうしてやっと、工夫して読む準備ができるのである。
本を読む本の出番がやってくるのだ。
あいつは"かしこ"だった
しかし考えてみればゴミ屋敷の友人はわりと本を読む。
現在働いている会社でも「あいつは"かしこ"やねん、本読むし」と思われているそうだ。
人間を支配したいのか、社会心理学的な教科書もたくさん散らばっていた。
ゴミは捨てられないが、読書上級者であった。
私は「本を読む本」をとっておいてやることにし、土埃でざらつくテレビ台の上に置いた。