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■芸術の寓話:技術とアートの分岐点

「ヒマワリへ、ということなら1億は用意したいですね。若い頃に、僕の人生を変えてくれた絵ですから」

インタビュー動画の中で、歴史ある美術館の新館長に就任した男は、爽やかな笑顔を見せながらゴッホへの関心を金額で明言した。

画商を名乗るその男が彼の前に現れたのは、それから一か月後だった。未発見のゴッホのヒマワリを手に入れたくはないかと、持ちかけてきたのだ。

「正確には、新作を描かせるという話なのですが」

「あぁ、生成AIで、という話かな。ヒマワリの絵を学習させて、新しいもう一枚を描かせると。私も昔似たようなことはずいぶんやりましたよ。最近は油絵の3Dプリンタも良くできていますからね。ゴッホはうってつけだ。まあ、そんなことをしても、ゴッホ好きの画家の模倣とやっていることは同じですけどね」

新館長は、デジタルアートブームの火付け役となって、Web3上のデジタルアート事業で十分な資産を築いた男だ。彼は、最近は、デジタルでなく現実のアートに高い関心を寄せており、それが館長就任へとつながった。

それ以降、未発見の絵が出てきたと言う怪しい話は、何度も持ちかけられて来た。旧貴族の末裔の屋敷の倉庫、画家が旅行で立ち寄った村、まだまだ見つかっていない絵が存在する可能性は、美術関係者なら怪しいと思いつつも、可能性を全て切り捨てるわけにもいかない。その心理を彼らは巧みに突いてくるのだ。

ただ、AIに絵を描かせるという話を正面から持ち掛けてきたのは、この画商が初めてだった。

「私たちが試みるのは、絵を学習して生成するAIではありません。こういう表現で、誤解を招きたくはないのですが」

画商はわざとらしく咳払いをした。

「ゴッホを生成するのです。」

新館長は足を組みなおしてフンと鼻を鳴らした。

「真に新作を描くためには、画家本人が残したものを学習させるアプローチでは駄目だというのが、私たちの結論です。私たちは、ゴッホその人が形成されていく過程を、仮想世界の中で再現するアプローチを取ります」

「ちょっと待ってくれ、少し話についていけなくなった。メタバースの中でゴッホの人生を再現させると言ったのか?」

思わぬ話に新館長は笑って良いものか、戸惑った。画商を名乗る男は、至って冷静だった。そして、新館長自身が若い頃に毎朝鏡の前で見ていた、あの時の目をしているように思えた。

「ゴッホは残された手がかりがそれほど多いわけではありませんが、それでも絶望的に少ないわけでもない。子供の頃に住んでいた町も、家族構成もわかっています。有名であるが故、青年期の人生についても研究が深く進んでいることも幸いです」

徐々に、画商の言葉に力が入ってくる。

「推測になる部分も多分にありますが、量子コンピューティングを駆使してあらゆる仮説、可能性、揺らぎを、私たちのゴッホの住む世界に幾重にも重ね合わせます。そこに、無数の可能性のゴッホが併存します」

画商は新館長の目を真っすぐに見つめます。

「そして、その無数のゴッホ達に絵を描かせます。本物が残した絵は、その答え合わせのためだけに使います。本物のゴッホの絵を見たことが無いはずの私たちのゴッホの中に、その絵に近い表現、技法、筆致、色使いをするものが見つかれば、成功です。後は、その精度を高めていけばいい。そして、自殺するはずのあの日を通り越してしまえば、その先でゴッホが描くものを私たちは目にすることができるようになります」

新館長は腕組みをして、唸りながら天井を見上げた。

「興味深い。興味深いんだけどね」

その続きを遮るように、画商を名乗る男は言葉を足した。

「去年、ピカソの未発見の絵がファインアートのオークションで話題になったのはご存じだと思いますが」

「あぁ。」何気なく頷いてから、目を丸くする。「まさか」

「はい。私たちは、既にピカソの青年期を生成することに成功しています。彼は、若い頃から多数の絵を残していますからね。親交のあった画家たちの作品も豊富ですし、最初の技術実証にはうってつけでした。」

彼は穏やかに微笑みます。

「今日もここに、1枚未発表の物を持ってきています。お手持ちの画像鑑定のAIにかけていただければ、99%ピカソだと判定されますよ。ただ、これはあくまでサンプルで、絵の具に細工はないので、X線にかけてしまうとすぐにバレてしまいますが。」

唾を飲み込む。既に世界中の鑑定家と、美術史家と、AIを騙し通したという事か。しかし、それなら。

「どうして、私にこの話を? ピカソがいるなら、いくらでも金は作り出せるのだろ。新作を描かせて」

「さすがに同じ画家の新作が何枚も出てきたら、疑われますからね。価値も希釈されてきますし。それに、お金だけではないのですよ。私たちは、この技術の可能性に情熱を注いでいます。けれど、人間を再現する研究を、表の資金ではできなくなってしまいましたから、こうして苦労しているんです」

AI技術への規制が厳しくなっている事実を嘆くように、少し苦笑して肩をすくめた後、画商を名乗る男はすぐに真剣な顔に戻った。

「それに、資金が必要なだけでなく、館長ご自身の協力が必要なんです」

「どういう意味だ?」

「どんなに画家を正確に生成できたとして、どんなにその技法や表現を再現できたとしても、そこから描きだされた絵を評価するのは、やはり最終的には人間です。そこには、画家の表現に共鳴する鑑賞者が必要になります。館長は、それに適任だと思ったのです」

新館長は、なるほどと頷いた。「その情熱が、僕にあると。それに、僕なら」

「ええ。ご自身の望むことのためなら、倫理や社会の目は気にされない方かとお見受けしまして。それに、最終的には絵の具も必要になりますから、何枚かゴッホと同時代の絵をご用意いただけるかと」

「わかった。で、いくら必要なんだ?」

「1億ドルです」

「さすがにそれは吹っかけ過ぎだな。ただ、話は分かった。今日はもう時間が無い。また検討して、こちらから連絡するよ。計画の詳細と、資金の使途の明細を整理しておいてくれ。それから、次のミーティングの時には、主要なメンバーから直接話を聞きたいから、そのつもりで」

礼を言って画商は立ち去る。彼を見送った後、館長は腕時計の画面をタッチして、話しかける。

「現れたよ、例のピカソが。手口も大体分かった。あれなら、確かに誰も見抜けないはずだ。詳しい事はまた今度説明するよ。」

腕時計を口元に当てたまま立ち上がって、画商が置いていったピカソのサンプルを見つめる。奇妙に構成された空間で、青い顔の女性の二つの瞳と、目が合う。

「ああ、感謝の言葉だったら、彼らを無事捕まえてからにしてくれよ。後はしっかり頼むよ。技術ギークに、アートラバーの庭を荒らされちゃたまらないからね。それに、美術史の事とは言え、歴史の改ざんなんて人類全体への挑戦だからね。じゃあ、情報はすぐに送る。健闘を祈るよ。」


おわり

<未来の寓話シリーズ>
未来の技術と、人間・社会・倫理の関わりの考察を、物語形式で表現しています。過去の作品は下のマガジンにまとめています。

<表紙絵について>
Vincent van Gogh, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vincent_van_Gogh_Zwoelf_Sonnenblumen_in_einer_Vase_1888_Detail_Neue_Pinakothek-1.jpg


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katoshi
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