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科学を拡張する方法論:相対的フェルミ推定

私はシステムエンジニアとしての視点から、生命の起源について個人研究をしています。

生命の起源についての主な議論は、生命が地球上のどこで誕生したのかと、どの化学物質が中心となったのかの2つに集約されます。その他は、個々の具体的な生物に使われている化学物質の生成方法の地道な調査研究となっています。

しかし、私はシステム効率の面から現実的に考えると、地球上の全ての場所を利用して、多種多様な化学物質が初めから相互作用することで、化学進化が進行したはずだと考えています。それはシステムエンジニアとして直感的に最も上手く機能する仕組みだと思えますし、実際に様々な角度から分析しても、それが妥当であると言い切れます。

一方で、この洞察を正式に科学的に検証するためには、一般的には証拠を集めたり、実験やシミュレーションにより実証することが求められることになります。それができない以上、あくまで仮説の一つとして扱われ、その他の未検証の仮説と同等か、あるいは他に支持する科学者がいなければ同等未満の仮説として取り扱われることになります。

もちろん科学的な検証は重要ですが、そこに束縛されてしまうと、証拠を集めることが困難な領域では、実験やシミュレーションが困難な仮説は、より容易に実験やシミュレーションができる仮説よりも不利な立場に追いやられることになります。たとえ、理屈の上では正しいとしても、検証の度合いによって評価される限り、仮説の確からしさと仮説の信憑性が逆転してしまうのです。

この科学的な検証という方法論が内在する問題を乗り越えるためには、証拠を集めることが困難な領域や実験やシミュレーションが困難な対象に関しては、別の科学的な方法論を確立する必要があります。これは私の研究のためでもありますし、科学が苦戦しているその他の多くの領域のためでもあります。

この目的で、私は相対的フェルミ推定という方法論を提案します。これは曖昧な情報を基に推定するフェルミ推定の手法を、科学的な仮説間の妥当性の評価に応用するという考え方です。相対的フェルミ推定を用いれば、検証が困難な仮説同士であっても、経験的な証拠に頼ることなく、その妥当性を客観的かつ合理的に比較して評価することができます。

この記事では、この考え方を分かりやすく説明するために、まずピラミッド建設についての架空の議論を題材にして説明を進めていきます。

■人為的な謎

次の文章を読んでください。この文章は私の創作であり、実際の話ではありません。論理的な記述にはなっていますが、ある仕掛けをしているため、おそらく読んでいて違和感を感じるはずです。

その仕掛けとは、ここに出てくる研究者が、参加可能な人や利用可能な技能を最小限に限定することを前提に思考しているという点です。これは、このような限定的な思考の影響により人為的な謎が出現することを明らかにするための思考実験です。

<ピラミッド建設の謎>

ピラミッドのような巨大な建造物の構築は、大きな謎です。

研究者たちは、具体的にどの集落の人々が作ったのかについて議論しています。ピラミッドから近いとある集落の人が作ったという説や、ピラミッドから遠いものの若い男性が多くいた特定の別の集落の人が作ったという説などが代表的です。

また、どのような技能を持つ人たちが作ったのかという議論も活発です。力持ちを集めて作られたという説や、石を切って運ぶ技術者の集団が作ったという説があります。近年は、これらの人々の共同作業だったと考える研究者もいます。

これらの説はいずれも一長一短があり、決定的ではありません。実験的にこれらの人を配置してピラミッド建設の模擬実験を実施する研究が続けられており、様々な発見がなされています。

一方で、これらの方法ではピラミッドは作れないと考える人たちは、宇宙から飛来したとか、我々の知らない未知の力が働いたという説を支持しています。

近年は、先ほど挙げたような実証的な研究が進んできたことで、住人たちが作ったという説が支持を強めています。

■直感的な理解の無視

この文章では、ピラミッドのような巨大な建造物を建てる際に、特定の集落の人だけに頼ったり、特定の技能を持った人だけで作るということがあり得ないという直感的な洞察を、あえて無視しています。当然、膨大な量の作業者が必要になり、肉体労働が得意な人や石を運ぶ技術を持った人はもちろん、その他の様々な技能が必要になるだろうと、私たちは直感的に考えます。

また、こうした総合的なアプローチによる実現性について議論せずに、偏った仮定に基づいた議論だけを取り上げて、それが説明がつかない謎であると考えたり、宇宙や超自然的な力に根拠を求めるのは早計であるということも、私たちは直感的に理解しています。

これが、先ほどの文章に私が施した仕掛けであり、違和感の源泉です。

■それ自体が謎なのか、謎を含んでいるだけなのか

ピラミッドの建設は、それ自体を謎だとは恐らく多くの人は考えないでしょう。強いて言えば、歴史的に多くの情報が失われているため、多くの謎は残っていますが、それはピラミッドの建設には謎が含まれているというだけのことです。詳細は不明ですが、大人数の人員で綿密に計画をすれば達成できる範囲の出来事として理解できるため、ピラミッド建設自体が謎というわけではありません。

先ほどの文章でピラミッドの建設が謎であると述べており、それが論理的に正しいのは、この全体像をあえて無視して、特定の集落と特定の技能を持つ人だけでピラミッドが建設されたという仮定を意図的に織り込んでいるためです。そのような仮定を取り払って考えると、ピラミッドの建設自体は、謎ではなくなります。

あるいは、当時、ピラミッド建設に携わることができた人員と費やすことができた年月、そして使用できる技能や技術をすべて勘案しても、ピラミッドを作ることができなかったという見積りがあり、それを議論しているのであれば、まだそれが謎であるという議論は筋が通ります。

ただし、それがほんの数倍の作業効率の向上で済むのであれば、恐らく重要な技術に関する情報が欠落しており、見落としがあるのでしょう。本当にピラミッド建設が謎と言えるのは、数十倍以上の作業効率の向上が必要なほど、大きな技術の飛躍が必要であるような計算になった時です。さすがにそこまで見積りが乖離していれば、単なるブレイクスルーとなる技術の見落としがあるという理屈では説明が困難です。

あるいは、どんなに人数を増やしたり、作業効率を向上させても、根本的に建築できない構造があるのであれば、それの場合もピラミッドの建設自体が謎ということになります。

■科学的という理由による反論

私たちは、大勢の人が関わり、様々な技能を持った人がピラミッド建設に携わったという考えを直感的に持つはずですし、それを正しいと考えるはずです。そして、特定の集落の人だけや特定の技能を持つ人だけで建設されたという前提は、間違っていると考えるでしょう。

しかし、次のような反論はあり得ます。

「その考えには、証拠がないので証拠を示す必要があります。また、具体的な人数が明らかになっておらず、必要な技能が列挙されていません。また、実際に再現してみなければ確実ではないはずです。その点で、特定の集落の人だけや特定の技能を持つ人だけで建設されたという仮説と、直感に基づいた仮説は、どちらも仮説にすぎません。直感的に正しいと感じるというだけでは科学的ではありません。したがって、ピラミッド建設はそれ自体が未解決の謎です。」

かなり無理筋に聞こえる議論ですが、少なくとも論理的には正しい反論です。

■相対的フェルミ推定

このような議論を科学的と呼ぶことを避けるためには、証拠と実証に基づいているものだけを妥当だと認めるような科学の方法論を改める必要があります。少なくとも、直接の証拠を得られる可能性がなく、実証が大きく制限され現実的でないと合理的に認められる事象に対しては、別の方法論を認める必要があります。

この目的で、私は相対的フェルミ推定という方法論を提案したいと思います。

一般的なフェルミ推定は、得られる情報が限定的で実証も困難な対象について、手に入る情報から推定される大まかな数値を使って結果を算出する手法です。もちろん、元の値がかなりの誤差を含んでいたり推測値を用いているため、実際の厳密な値と比べて数倍以上の差が生じる可能性があります。しかし、例えばある基準値を上回るかどうかということが知りたい場合に、フェルミ推定で算出した値が基準値の1000倍以上の値であれば、基準値を上回ると考えることは非常に妥当性が高い推論といえます。

私の提案する相対的フェルミ推定は、このアプローチを複数の仮説の間での妥当性の評価に用います。

この場合には、各仮説の妥当性や可能性を個別に推定する必要はありません。その代わりに、比較対象の仮説同士の相対的な妥当性や可能性の差を推定します。

■相対的フェルミ推定による評価

ピラミッド建設の例で考えてみましょう。特定の集落の特定の技能を持つ人だけが参加したとする仮説と、動員可能な全ての集落の多様な技能を持つ人が参加したとする仮説が比較対象です。

まず人数の観点では、おおまかに100倍以上の差があると見積もることができるでしょう。そして、単一の技能と多数の技能による差も、10倍以上の差が出ても不思議ではありません。この値は、単位時間当たりの作業量の差だと考えてください。

人数と技能の推定値を掛け合わせると、単位時間当たりの作業量には1000倍の差があります。これだけ離れていても、もちろん当時の情報や実証実験による検証をするまでは、どちらも旧来の科学的議論では同レベルの仮説として扱われます。しかし、相対的フェルミ推定の方法論を認めるのであれば、この2つの仮説の間には1000倍以上の妥当性の差が推定されます。

しかも、特定の集落や特定の技能において、見落とされていた何らかの事実や技術が将来発見され、それがピラミッド建設に有利に働いたとしても、その恩恵はどちらの仮説にも等しく寄与します。したがって、この推定差が埋まることはありません。

これは、前者の説を完全に否定するわけではありません。ただ、単位時間当たりの作業量というキーとなる指標に対する1000倍以上の推定差があるという事実を常に議論の前提とする必要があります。

もちろん、この推定値自体の算出方法によるブレはあり得るでしょう。科学的な妥当性を高めるためには、この計算プロセスと仮置きした数値の根拠を提示し、また、別の人による推定値についても並べて評価する必要があります。これらの作業を着実に行った上で、妥当性や実現性について大きな差がある仮説は、その推定差を科学的な事実として議論の前提に加える必要があります。

■生命の起源

相対的フェルミ推定を、生命の起源の議論に適用してみましょう。

多くの主流の議論では、海底の熱水噴出孔や温泉や潮の満ち引きにさらされる鉱物表面など、特定の場所で生物が誕生したと仮定しています。また、RNAを中心としたRNAワールド仮説や、タンパク質を中心とした代謝優先仮説など、自己触媒する特定の化学物質群が中心になるという仮定もなされています。

一方で、冒頭で述べたように、地球上の全ての場所を利用して、多種多様な化学物質が初めから相互作用することで、化学進化が進行したはずだと私は考えています。もちろん、特定の場所で起きた事象や特定の化学物質の登場が、生命の起源の大きなマイルストーンであったりブレイクスルーだった可能性は十分にありますし、むしろそうしたことは必須であると考えています。しかし、それだけですべてを説明するには、生物は明らかに複雑すぎます。

主流の議論の仮定と、私の仮説はどちらも確立した証拠はなく、実験やシミュレーション的な検証はできていないため、その意味で同等の仮説として扱われることになります。

しかし、相対的フェルミ推定を適用すると、明らかにこれらには妥当性や実現性に大きな差があることが確認できます。

■生命の起源における相対的フェルミ推定

化学進化の推進効率で考えると、化学物質の数と種類、そして短時間あたりの新しい組み合わせが生じる回数が主要なパラメータとなります。場所を限定する過程と、全地球規模で比較すると、化学物質の数は少なく見積もっても私の仮説の方が1000倍有利です。化学物質の種類で考えても10倍以上は有利になるでしょう。

加えて単位時間あたりに新しい組み合わせが生じる回数で考えると、これも少なく見積もっても1000倍以上、私の仮説は有利です。また、組み合わせに利用できる化学物質を特定のものに制限しないため、その効果も10倍以上は効いてきます。

また、環境が飽和してしまわずに新しい組み合わせが誕生するためにも、区画化された領域に分散して、そこに多様な化学的な条件が存在する方が有利です。化学進化が安定的に推進するためには、区画化された領域に分散している方が有利です。さらに、一つの進化経路だけでなく、多様な進化経路がある方が、安定的な進化には有利です。

地球全体を利用した化学進化という仮定は、これらの観点からさらに私の仮説の妥当性や実現性を高くします。なぜなら地球には海だけでなく陸があるため、多数の湖や池を区画として利用できます。さらに地球の水や大気の循環は、これらの区画の中で合成された化学物質の散布や循環を促します。このため、特定の環境や特定の化学物質を中心とする仮説に比べて、進化の飽和や安定的な進化の推進の観点でも少なくとも10倍以上の差が付くでしょう。

これらを単純に掛け合わせるだけでも、十億倍の差異があります。

もちろん、これらの推定値は大きな誤差が含まれているでしょうし、私が自分の仮説に有利になるように甘い見積もりをしている可能性もあります。しかし、具体的な数値の正しさには曖昧さがあるとしても、私の仮説の方が明確に化学進化の推進効率が高いことは明らかです。

したがって、相対的フェルミ推定を適用すると、従来の仮説と、私の仮説の間には、明らかな差があるのです。

■生命の起源の謎

既に生命の起源の研究においては、化学物質同士が相互作用することでフィードバックループが形成されること、新しい化学物質が合成されることで新しいフィードバックループが形成されることがシステム理論的な観点から認められています。また、これらのフィードバックループが自然選択により破壊されたり持続したりすることで、化学進化が進行することも分かっています。

加えて、生物が利用している主要な化学物質である核酸やアミノ酸や脂質は、材料となる分子とエネルギーがあれば、無生物環境下でも合成されることは実験的に確認されています。そして、これらが重合してポリマーを形成することも同じく実験的に確認されています。

これらの既知の知見と、私の仮説を組み合わせれば、従来の仮説よりもはるかに高い効率で地球規模での化学進化が進行したと言えます。

そして、このことは、既に生命の起源は、それ自体が謎ではなくなっていることを意味します。生命の起源そのものが謎なのではなく、生命の起源の中にまだ明らかになっていない具体的な経路や詳細なプロセスなどの謎が含まれているに過ぎません。

これはピラミッドの例と同じです。ピラミッドの建設は大勢の人が長時間かけて建造したと考えることは妥当です。そして、その意味でピラミッドの建設そのものは謎ではなく、情報が失われたことで不明になっている詳細が謎として含まれているだけです。同じように、生命の起源においても具体的な進化のステップやどの順序でどの機能や化学物質が登場したかは謎ですが、それは生命の起源自体が謎であることを意味しません。

■さいごに

私の仮説は、あくまで仮説であり、証拠や実証的な実験やシミュレーションによって検証される必要があります。従来の局所的な場所や限定された化学物質を中心とした仮説よりも妥当であることは相対的フェルミ推定によって確認しましたが、それと正しいかどうかや、また事実であったかは別の話です。例えば、私の仮説と、従来仮説の中間点が事実だったかもしれません。太古の地球のとある地方だけが舞台になっており、RNAとタンパク質のハイブリッドが化学進化の中心だったかもしれません。

それでも、既に生命の起源そのものは謎ではなくなっているという事実は揺らぎません。ピラミッドの建設も、実際には考えられているよりも少ない人数と少ない技能だけで十分だったかもしれませんが、それが判明していないとしても、十分多い人数と十分に多様な技能があればピラミッドは建設できたと考えられるためです。

生命の起源にしてもピラミッドの建設にしても、残っているのは歴史に埋もれて消えてしまった詳細な情報について妥当な経路や説明を探し出す作業だけです。それらは謎として含まれていますが、それは生命の起源にしてもピラミッドの建設自体を謎にしているわけではないのです。

また、この議論は、私が冒頭で提示した科学の方法論の拡張としての相対的フェルミ推定の有用性を示しています。このように相対的フェルミ推定を用いて生命の起源の議論を整理し、そこから生命の起源について分かっている知見を整理すると、まだ解けていないと考えられていた生命の起源が、すでに謎ではなくなっていることが明らかになりました。

もし、相対的フェルミ推定という方法論を私が使用していなければ、私の仮説は検証されていない単なる一つの仮説として扱わざるを得ず、したがって、十分に検証できるまで、それを妥当な仮説として主張して、生命の起源が既に謎ではなくなったという主張をすることはできなかったでしょう。つまり、相対的フェルミ推定という方法論を認めるかどうかによって、生命の起源が謎のままであるか、解決済みであるか、科学的な見解は分かれることになります。

そして、これは科学的な検証が困難であったり非常に時間を要する分野において、同じような効果をもたらします。これは決して手を抜いたり科学的な厳密さをないがしろにしているわけではありません。科学的であることの精神は、合理性に基づいて多くの人が検証可能な方法で自然を理解することに他なりません。証拠や実験による検証は、その第一義的で強力な方法論ですが、相対的フェルミ推定も同じ精神に基づいた、十分に科学的な方法論です。

そして、これを認めるかどうかは、単なる好みの問題ではありません。科学が到達できる射程を大きく変化させます。そして、科学が科学のために存在しているのか、人類にとって有用であることが重要であるのかという観点についても考える必要があります。従来の方法論だけに固執するよりも、科学の精神を持ちつつもそれを拡張可能な方法論を取り入れていくことで、到達できる射程距離を広げることは、明らかに人類にとって望ましいことです。この観点から、私たちはこうした方法論による科学の拡張について、真剣に検討する必要があります。

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katoshi
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