生命の起源:システム理論的探求
生命の起源は、多くの謎に包まれているとされています。この謎について、私はシステムエンジニアの視点から探求を進めています。
この記事では、これまでの私の研究成果について、私自身の整理も兼ねて、概説しようと思います。
■生命の起源の3つの側面
地球における生命の起源について考える際、大きく3つの側面に分けて考える必要があります。
1つ目の側面は、一般的な物理学や化学的な法則についてのシステム的な理解の整理です。
この側面での理解が、生物の誕生が例外的なものであるという誤解を解消します。代わりに、生物の誕生は、私たちが理解しているシンプルな自然の法則の延長線上にあるということを把握することができるようになります。
2つ目の側面は、生化学現象についての理解の整理です。
この側面での理解により、生化学現象のうち、生物の誕生にとって基礎となるのは遺伝情報ではなく、代謝である事が理解できます。また、生物を構成する複雑な有機化合物や、化学反応の連鎖である代謝システムが、生物の細胞内部に固有のものではないことがわかります。これにより、細胞の誕生と、複雑な有機化合物や代謝システムを分離して検討できるようになります。
3つ目の側面は、地球上での生物の誕生についての仮説です。
この側面では、上記の2つの側面を理解した上で、地球の生物がどのように誕生したのかについて、仮説を立てて妥当なプロセスを検討します。前述の2つの側面の理解により、生命の誕生が短期的かつ局所的な現象であるという前提を取り払う事ができます。これにより、地球全体で長期的に進行する化学進化という観点で、仮説を組み立てることができます。
この観点により、既存の様々な生命の起源に関する仮説を否定ではなく、生命の起源全体のプロセスの中の局所的な要素や複数の並行する進化経路の一部として再解釈することが可能になります。また、既存の研究では見落とされていた可能性を、仮説の中に組み入れることも可能になります。
なお、初めの2つの側面は、既存の良く知られた科学的な知識の論理的な再構成に過ぎません。このため、実験や証拠に基づいて検証するような仮説ではないことに留意ください。客観的な検証としては、論理的な矛盾や誤解や見落としの有無に基づく論理的な検証のみが重要になります。
3つ目の側面は純粋に仮説ですので、実験や証拠に基づいて検証が必要になります。ただし、十分な証拠を提示することは困難ではあるものの、生命の起源の仮説として十分に妥当な説明を提供することができます。
そして、地球全体で長期的に進行する化学進化という観点から組み立てた仮説は、生命の起源についての基本的な仕組みに関する多くの疑問について、その疑問に対する答えを提供します。つまり、基本的な理論の上では、生命の起源の全体像を矛盾なく説明できるフレームワークになっていると言うことができます。
■一般進化論
では、まず1つ目の側面の中心となる、一般進化論について概説します。
ダーウィンの進化論は、生物の種の多様性と生物の身体構造や機能の複雑さは、遺伝子による生物の自己複製と遺伝子の変異、そして自然淘汰による結果であるということを説明しました。これをここでは生物学的進化論と呼ぶことにします。
この進化という概念を、私は一般化して、無生物にも拡張します。それを一般進化論と呼ぶことにします。この一般進化論は、進化という現象の定義と、進化のメカニズムに分けて説明できます。
進化という現象は、時間経過と共に、空間内に、構造が複雑化した物体や物質が新たに出現するという現象が繰り返し発生し、累積的に複雑さの度合いが増すと共に、種類の多様性も増していく現象であると定義します。また、それに付随して、物体同士の相互作用の複雑さの度合いが増し、相互作用の種類の多様性も増していくことになります。
このように定義すると、生物学的な進化よりもシンプルなメカニズムでも、進化が起きることが理解できます。
まず、物質同士が単純に結合することで、新しい物質が形成されるということが反復し、累積的に結合する数が増していくだけでも、進化と呼ぶことができます。宇宙における元素の種類が増加していった現象が、その代表例です。ビッグバン直後の宇宙には水素やヘリウムのような原子番号が小さい元素だけでしたが、時間経過と共に元素同士が結合し、より原子番号が大きくて重い元素が生成されていきました。
同様に、生命誕生以前の地球でも、原子や分子が単純に結合を繰り返して、より複雑な分子を形成することが可能だったと考えられます。
ただし、宇宙における元素も、地球上の分子も、結合だけでなく分解されることもあります。一般的に、より複雑な物質は分解される可能性も高くなる傾向があるため、このシンプルな結合による進化では、どこかで生成される物質の複雑さが頭打ちになります。
なお、ここで重要なポイントは、結合された分子が複雑であれば、様々な要因ですぐに破壊されてしまい、特別な条件が無ければ、複雑な分子は存在しないに違いないという誤解を解くことです。
実際には、分子が偶発的に合成されてから破壊されるまでには、時間があります。このため、破壊される速度よりも生成される速度が早ければ、どんなに破壊されやすい複雑な分子であっても、その数は時間と共に増加していきます。そして、破壊される速度と生成される速度が均衡する量が、常に空間中に存在します。
特別な条件がない限り、この均衡が保たれる状態まで、複雑な物質の生成が進行することになります。
そこから、より高度な複雑さを持つ物質が生成されるためには、進化に伴って結合が生じやすくなったり、分解されにくくなったりすることが必要になります。元素の場合、そのような作用を持っていないため、宇宙で自然に合成される元素には限界が有ると考えられます。一方で、地球上の分子の場合、分子の中に触媒作用を持つ分子が存在します。
このような触媒作用を持つ分子が、結合を促進したり分解を抑制することで、合成される分子の複雑さの限界を越えることができる可能性があります。さらに、触媒作用を持つ分子同士が相互作用して、触媒作用の影響がネットワーク状に広がる事で、その中に自己触媒的な経路が生じることがあります。このような自己触媒の経路にある分子は、さらに複雑な分子の合成を可能にする土台になります。
分解に抵抗して、このような段階まで進化が進行し、さらに新しい触媒作用を持つ物質が合成される場合、触媒なしの進化に比べて大幅に複雑さの上限は高くなります。
さらに、複数の種類の触媒を生成できる複合的な触媒が存在する可能性があります。このような触媒は、1つの触媒で多数の触媒ネットーワークを形成する機能を持ち、自己触媒作用を持つ経路を多数持つことが可能になります。このような複合的な触媒は、個々の物質の複雑さや多様性だけでなく、複数の物質の組合せの複雑さや多様性を増加させ、その面での進化を進行させる要素となります。
生物学的進化における遺伝子は、複数種類の触媒を生成できる複合的な触媒として機能します。
このように、進化の定義を整理し、進化のメカニズムを一般化すると、物理的な法則による元素の進化や分子の進化から、生物学的な進化まで、1つの考え方で捉えることができるようになります。この見方により、生物における進化を特別な現象としてではなく、物理学や化学における一般的な現象と同じく、自然界におけるシンプルな法則の延長線上の現象であることを理解できます。
なお、ここでもう一つの誤解を解いておく必要があります。私たちは、複雑な物質や構造はやがて破壊されるという理解を持っています。このため、生物の利用している有機化合物や、生物の身体のような複雑な物質や構造は、自然状態では存在し得ないという誤解を持ちます。
しかし、実際には物質や構造の破壊は必然的に生じるものではありません。このため、破壊要因がない限りは、どんなに複雑な物質や構造であっても、そのままの状態で維持されます。従って、物質の合成と破壊には優劣はありません。合成の機会が多ければ物質は複雑化し、破壊の機会が多ければ物質の複雑さは減少します。そして、初期状態がシンプルな物質ばかりであれば、合成と破壊がバランスする段階まで、物質は必然的に進化します。
■生化学現象の細胞非依存性
2つ目の側面に話を進めます。ここでは、化学物質が一般進化論により進化した場合に、生物が行っているような高度に複雑な化学反応の連鎖を実現し得るのかを理解するため、生化学現象の細胞非依存性について概説します。
一般に、生物の細胞の特徴は、遺伝情報による自己複製、脂質の膜によるカプセル化、複雑で多様な代謝システムと考えられます。
これらは、生物の細胞が存在するから実現できる機能や仕組みであり、最初の生物である単細胞生物が存在する以前の地球環境では特別な条件なしに存在したり機能したりすることができないと考えられています。
このため、これらの機能や性質が段階的に形成され、それを素材にして生物が誕生した、と考える事が難しいという前提があります。この前提があるため、既存の生命の起源の研究では、化学進化が局所的に短期間で発生するような場所やメカニズムを探すことに焦点が当てられています。
しかしながら、この前提は誤解です。それは現在の観察可能な生化学現象から説明できます。
まず、遺伝情報による自己複製は、細胞を持たないウィルスでも実現できている機能です。ウィルスは通常状態では細胞の外にある程度の期間存在し続けることができます。もちろん、ウィルスだけでは自己複製はできないため、細胞を利用することで自己複製を実現しています。
しかし、厳密に言えばこの理解は正確ではありません。ウィルスが必要とするのは、細胞内での遺伝子の複製を含む、
元のウィルスのコピーを生成するための仕組みです。その仕組みが存在して、機能しているなら、ウィルスにとっては細胞内にある必要はありません。
脂質の膜によるカプセル化の仕組みは、細胞膜以外にも、様々な有機化合物をカプセル化するために細胞が持っている機能です。そして、有機化合物を包んだ脂質の膜のカプセルは、細胞内で利用されるだけでなく、細胞間で受け渡されるものもあります。
このため、ウィルスと同様、脂質の膜によるカプセルは、細胞の外でも一定の期間存在し続けることができます。そして、脂質の膜により様々な有機化合物を包む機能は、必ずしも細胞の中にある必要はありません。
代謝システムは、生物の生命維持に役立つ機能を持つ化学反応の連鎖を生じさせる一連の仕組みです。代謝システムには多数の種類があり、その組み合わせによって生物は生命を維持することができます。
代謝システムは細胞の中に完結しているものも多くあります。しかし、それだけではありません。
細胞間で連携することで一連の代謝が完結する代謝システムもあります。また、他の生物種の個体との間で有機化合物をやり取りすることで、代謝の仕組みが完結するというものや、環境との相互作用によって代謝の仕組みが完結しているという見方ができる代謝システムもあります。
このように考えると、化学反応の連鎖により成立する代謝システムは、必ずしも細胞の中にある必要はなく、全てが環境の中で行われることも原理的には可能という事になります。つまり、これらの生化学現象は細胞非依存という事になります。
また、重要な点は、ウィルスが必要とする遺伝子複製やウィルス自体のコピーを作成する機能や、脂質の膜により様々な有機化合物を包むカプセル化の機能は、どちらも一種の代謝システムであるという点です。
従って、観察可能な生化学現象から、これらの機能や仕組みは全て、細胞を前提にしなくても原理的には環境中に存在することができると言えます。
この視点は、生命の起源において、これらの機能や仕組みが成立することと、最初の単細胞生物が誕生することを、分離して考える事を可能にします。つまり、最初の細胞の誕生を、短時間の局所的な現象としてではなく、長期間の広域的な現象として考える事を可能にします。
■生命の起源の全体像の仮説
ここまでに、1つ目の側面と2つ目の側面について、概説をしてきました。初めに述べたように、これらは既に良く知られた物理学や化学における一般的な知識を、システム的な観点から再整理したものです。このため、ここまでの整理は、生命の起源についての仮説は含んでいません。
これらの知識の再整理に基づいて、ここからは3つ目の側面である、地球における生命の起源の仮説について、私の見解を概説していきます。
この仮説は、2つのレベルに分かれます。第1レベルの仮説は、生命の起源の全体像を俯瞰するための仮説であり、仮説の中でも確からしさが高い部分です。第2レベルの仮説は、第1レベルの仮説の全体像を補う、具体的な仮説です。
ここでは、第1レベルの仮説である、生命の起源の全体像についての仮説について説明します。第2レベルの仮説については、より具体的であるため、確からしさは第1レベルに比べると低くなります。このため、ここでは第1レベルの仮説の説明に留めます。
■化学工場ネットワーク仮説
第1レベルに相当する、地球における生命の起源の全体像についての私の仮説は、主に2つあります。化学工場ネットワーク仮説と、無細胞代謝システム仮説です。
化学工場ネットワーク仮説は、1つ目の側面で述べた一般進化論を、地球環境に当てはめて考えた場合に、地球上でどのように化学進化が進行するかを説明するための仮説です。
これは、生命誕生につながる複雑な化学進化は、地球全域を巨大な化学工場のネットワークとして利用していたという仮説です。
地球には、陸地と海洋と大気があります。そして、陸地には無数の湖や池や沼など個別に隔離された水場があります。そして、水の循環サイクルがあり、これらの環境をミネラルや無機化合物や有機化合物が循環し、混ぜ合わされるようになっています。ただし多数の水場は基本的には隔離されているため、物質の含有がそれぞれことなります。また、場所によって温度や日照条件なども条件も異なります。
この多様な環境は、様々な組合せで物質が出会う事で、多様な化学物質が合成されるプラットフォームとして機能します。また、水が単に一方向に物質を移動させるだけでなく、循環サイクルを持つことで、自己触媒する経路を含む触媒ネットワークを実現させるプラットフォームにもなります。
この地球の環境的な特性を生かして、生物の誕生に必要な化学進化が段階的に進行したというのが、化学工場ネットワーク仮説です。
これは仮説に過ぎませんが、もしもこの仮説が否定されるとすれば、論理的にはこの逆の状況を仮説として採用することを意味します。つまり、生物の誕生は、地球全域での化学進化の仕組みを利用していない、という仮説を支持するということです。
これまでの生命の起源の研究は、主に局所的で短期的な現象として化学進化を捉えていましたが、1つ目の側面で整理した一般進化論の視点を理解すると、化学工場ネットワーク仮説を否定して、局所的で短期的な現象であるという考えを支持することは難しくなるはずです。
加えて、化学工場ネットワーク仮説は、鉱物表面、温泉、海底の熱水噴出孔等で化学進化が進行したとする既存の生命の起源の仮説を採用することが可能です。これは、そのどれか1か所で発生したという事ではなく、それぞれの場所の利点を生かして、特有の化学物質が合成された可能性がある事を示唆します。
このように、化学工場ネットワーク仮説は、仮説であるとはいえ、生命の起源を考える上で、完全に否定したり無視することが難しい考え方であると言えます。
■無細胞代謝システム仮説
無細胞代謝システム仮説は、2つ目の側面で説明した生化学現象の細胞非依存性の理解から自然に導かれる仮説です。
これは、生物の特徴である遺伝情報による自己複製、脂質の膜によるカプセル化の仕組みを含む、複雑で多様な代謝システムは、最初の単細胞生物が誕生する以前の地球上で既に機能していたという仮説です。
この仮説は、主に2つの点を主張しています。1つはこれらの仕組みが成立するために必要な複雑さを持つ有機化合物が、十分な種類と量、生物がいない環境で生成され、実際にそれを使ってこれらの仕組みが機能していた、という点です。もう1つは、これらの仕組みが先に存在している環境の中で、段階的にこれらの仕組みが統合されていき、最終的には1つの脂質の膜の中で機能するようになることで、最初の単細胞生物が誕生した、という点です。
これも否定することが難しい仮説です。なぜなら、この説を否定する場合、論理的にはこれらの機能の一部あるいは全ては、最初の単細胞生物の誕生以前には存在していなかったという仮説を支持することになるためです。つまり、一部あるいは全ての機能は、単細胞生物が誕生する時に同時に機能し始めたという主張をすることになります。
これは既存の生命の起源の研究の中で、ある程度前提としていた考え方です。しかし、2つ目の側面で説明した生化学現象の細胞非依存性の理解を整理した後では、このような説を支持する合理的な理由が見当たりません。それよりも、既に環境中で機能していた仕組みを統合する形で細胞が完成したと考える方が合理的です。
なお、この無細胞代謝システム仮説では、既存の生命の起源の研究における、DNAワールド仮説、RNAワールド仮説、代謝優先仮説、自己触媒セットのそれぞれの考え方を取り込むことができます。これらは順番に達成されたと考える事もできますが、必ずしも順番ではなく、並行して進行したと考える事もできます。
特に、化学工場ネットワーク仮説と併せて考えると、局所的、あるいは特定機能に関しては代謝優先で化学進化が進行し、別の場所や機能群についてはRNAを中心にして化学進化が進行したと考える事ができます。
また、初期の段階では自己触媒セットに相当する触媒の組み合わせが自然淘汰による選択圧に基づく進化を推進させる中心的なメカニズムとなり、ある段階からはウィルスによる遺伝情報の自己複製のメカニズムが進化を推進させたことを示唆します。
従って、化学工場ネットワーク仮説と同様に、無細胞代謝システム仮説は否定や無視が難しい仮説と言えます。
■さいごに
この記事では、生命の起源についてシステム理論の観点から探求した結果を説明するために、一般進化論および生化学現象の細胞非依存性という2つの前提を整理するアプローチを取りました。これらは仮説ではなく、物理学や化学における基本的な知識の論理的な組み立てです。
この整理は、生命の起源に関する議論における暗黙的な誤解を解消します。
もっとも大きな誤解は、閉鎖系では物質は時間と共に分解され、複雑さは消失していくという誤解です。
正しくは、閉鎖系であれ開放系であれ、物質の複雑さは、物質の合成速度と分解速度のバランスによって決まります。物質の複雑さが低い状態で、合成速度が分解速度を上回る限り、系の中の物質の複雑さは増していきます。
これは、宇宙における元素の構成が複雑化していく様子に端的に表れています。
振り返ってみると、生物に関する多くの議論では、複雑さが時間と共に増大していくことは、自然の法則に逆流する特別な現象かのように扱われています。しかし、宇宙における元素が時間と共に複雑化していくという点は、特別な現象として扱われてはいないのです。これは、対象によって考え方を変えてしまうダブルスタンダードです。
私が生命の起源について探求してきた中で気がついたことは、このような誤解を一つ一つ解いていくことが、答えに近づくための重要なアプローチになるという事です。この記事で整理したように、基本的な知識に基づいて誤解を解いていくことで、より整合性が高く矛盾のない仮説を立てることができるようになります。