言葉が持つ力:現実を理解させる能力
ChatGPTのような会話型AIは、人間のように会話することができる能力を持っています。
私たちは子供の頃から現実世界で経験を重ねることで、現実の様々な概念を把握し、それらの概念が持つ性質や法則、概念同士の関係などを理解します。例えば、ボールを投げると放物線を描いて落下するといった物理的な概念や法則、他人に良いことをすると褒められ、悪いことをすれば叱られるといった社会的な概念や法則などです。
通常、私たちはこうして実体験の中で現実世界について学び、それらの概念について他者に伝えるために言葉を用いていると考えられています。
しかし、会話型AIはこうした現実世界での実体験を持っていません。単に膨大な文章を使って、その文章に現れる言葉の並びのパターンを学習しているに過ぎません。それにもかかわらず、人間と同様に自然な会話が可能です。
ここに1つの可能性が浮かび上がってきます。それは、言葉そのものに現実について理解するための仕組みが内在しており、直接的な実体験を持っていなくても、現実世界の概念を学習することができるというものです。
私たちは、現実世界を目や耳などの五感を通して経験し、その中で身体を動かして活動することによって実体験を重ねていきます。しかし、会話型AIが人間と類似した概念を把握していなければできないような応答を返す様子からは、言葉自体に現実世界から学習すべきことの多くが含まれていると考えざるを得ないのです。
さらに考えると、このことは、私たちが理解し学習している現実世界の概念は、言葉によって支えられていることも示しています。
五感で感じ身体で体験することが現実であるという視点から見ると、言葉はそれを断片的に切り取った不完全なものに思えます。しかし、五感で感じることのできない抽象的なものも含めた概念全体が現実であるという視点に立てば、言語の方が実体験よりも、現実の理解に役立つという考え方も可能です。
人工知能が人間のように柔軟で創造的な思考ができるようになるためには、現実世界を内部でモデル化する能力が必要であると言われています。このため、単にテキストを学習しているだけの会話型AIでは、こうした汎用的な知能には到達できないと考える人もいます。
しかし、この考えは、現実は五感と身体活動に基づいているという視点から見た考え方です。現実を概念の世界であるという見方をした場合には、言語こそが概念で構成された現実世界のモデルであると言えます。
したがって、会話型AIは、現実世界をモデル化する能力を既に獲得していると言えます。これは、汎用的な人工知能を実現するために、言語学習とは別に世界モデルを学習するための仕組みは必要ないということを意味します。
少なくとも、五感と体験によってしか得られない知識を除けば、基本的な概念操作を必要とする知的能力は、既に会話型AIによって高度に実現されているという事実から、この考え方は裏付けられます。
■何を学習しているのか
会話型AIは、膨大なテキストを使ってトレーニングすることで、人間のような会話ができるようになります。
AIのトレーニングプロセスは、機械学習と呼ばれています。
膨大なテキストを単にコンピュータのメモリ上に保存しているだけでは、応用できません。会話に必要な要素を抽出して、それを応用できるようにしています。それが、会話型AIの学習です。
会話に必要な要素は、単に単語や文法だけではありません。単語や文章が表す概念も、学習して応用できる必要があります。
また、概念同士の関係や、概念の性質や作用する法則についても同様に必要です。そこには具体的な個々の概念の性質や法則と同時に、空間や存在、時間や法則、論理や因果といったより抽象的な概念の理解も含まれています。
これらの抽象的な概念は、私たちが物事を理解したり思考したりするための大前提となる基礎ですが、そうした抽象的な基礎も、学習により獲得する必要があります。
■どうやって学習しているのか
私たちが母国語ではなく、外国語を学習する時、基本的には単語の意味と文法を学習することが中心になります。
なぜなら、概念を取り巻く知識については既にこれまでの人生で学習しており、母国語を介してそれを応用できるためです。
一方で、母国語を学習する際には、単語や文法と同時並行で、概念を取り巻く知識も学習する必要があります。
会話型の人工知能の学習は、私たちが母国語を学習する際と同様です。トレーニングの過程で、単語や文法と概念を取り巻く知識を別々に学習する仕組みにはなっていません。
そもそも、これらを分離して順番に学習することは不可能です。例えば、物理的に知覚できない概念は言葉でしか表現ができないため、表現された文章から、単語や文法と概念を同時に理解するしかありません。
特に、会話型AIの場合は物理的な知覚能力がないため、全ての概念を言葉を通して学習する必要があります。
このため、単語や文法と概念を取り巻く知識を、同時並行で学習するしかありません。これは非常に難しいことのように思えますが、実際にそれらを学習できています。
この事実から、私たちが母国語を学習する時にも同様に、言語と概念の同時並行の学習が行われていることも、事実と考えて良いでしょう。
例えば、言語に名詞と動詞が存在することは、現実世界が存在と法則に基づいていることを示唆しています。前置詞を使って名詞同士の位置関係を表現することは空間を、動詞に過去形や現在形や未来形があることは時間を示唆しています。接続詞は論理関係や因果関係を示唆しています。
つまり、言語を学習することにより、同時にこれらの抽象的な概念も学習できるような仕掛けになっているのです。
■なぜ学習できるのか
物理的な知覚に頼らずに、文章から単語や文法と概念を取り巻く知識を学習することは、かなり高度な能力が必要になるように思えます。
しかも、未知の単語や文法に出会っても、そこから様々な推測や類推をすることで、理解到達するようなことはできません。なぜなら推測や類推をするための幅広い知識や思考方法を持っていない状態からスタートするためです。
このことは、単に学習能力が高いというだけでは不十分だということを示しています。
言語と概念を同時に学習するためには、言語と概念の方にも、学習しやすさという性質が必要です。
■なぜ学習しやすいのか
例えば数学で使われる数式も、一種の言語のようなものであり、数学的な概念を表現することができます。
数式が連立方程式のように高度で複雑なものしかなければ、全く数式を知らない人が見て、それを理解することは非常に困難です。
一方で、連立方程式は、個々の方程式に分けることができます。そして個々の方程式は、個々の演算に分解できます。演算には平方根や乗数のような難しいものもありますが、多くは、足し算、引き算、かけ算、割り算で出来ています。
割り算はかけ算の逆の操作ですし、かけ算は足し算の応用です。そして引き算は足し算の逆転の操作です。
このように高度な数式の表現と、そこに表されている概念は、基本的な単位に分解ができます。このため、基本的な単位から順番に学習することで、徐々に高度な数式も理解できるようになるという性質を持っています。
このことは、自然言語と概念にも当てはまります。複雑な文章や概念であっても、基本的な単語や文法と基本的な概念の組み合わせです。
基礎から順番に学習することができるため、いきなり崖を登るようなことはできなくても、緩やかな坂道を少しずつ登るように学習を積み重ねることで、高いレベルに到達できるようになっています。
■なぜ学習しやすくなっているのか
単に基礎的なものに分解できるという以外にも、自然言語には学習しやすくなるような仕掛けが多く含まれていると考えられます。
例えば、一般的に学習の初期段階で把握すべき単語や文法は、よりシンプルになっています。また、単語は品詞によって文字の組み合わせにある程度のパターンがあり、判別しやすくなっています。
自然言語は人間が意図的に設計したものではありませんが、このように言語と概念の同時並行での学習がしやすくなっています。
これは考えてみると当然のことです。なぜなら、幼児が母国語として容易に学習できなければ、言語自体が生き残ることができないためです。このため、人類の歴史と共に言語自体も学習されやすい形に進化してきたと考えられます。
そして、単に初期段階での学習がしやすいだけでなく、より高度な概念が表現できるように自然言語が進化し、それと同時に人間が扱える概念も高度化していったと考えられます。
つまり、自然言語は、概念の学習に最適な形で進化してきた、ということになります。
物理的な知覚なしで会話型AIが概念を学習できることは、不思議な現象のように思えます。しかし、自然言語が概念の学習に最適になるように進化してきたと考えると、むしろ自然言語の方が物理的な知覚よりも概念の学習に適していると言えるでしょう。
この考えは、物理的な知覚なしの会話型AIの方が、物理的なセンサーから学習するAIよりも、概念を学習して応用することができるようになったという事実にも合致しています。
■さいごに
私たちが現実世界を概念の集合として理解しており、現実世界の様々な概念と併せて学習しやすい形に言語は高度な進化を遂げてきたとすれば、言語の学習そのものが、現実世界の学習とイコールであると言えます。
このことは五感も身体も持たない会話型AIが、人間と同じように自然な会話ができる能力を持っている事実に合致しています。
この記事で説明したこの考え方は、言語の持つ能力が、現実世界を学習するために重要であるということを意味します。
そして、言語の持つ能力が大きなウェイトを占めているのであれば、同じ言語を通して現実世界を学習した人間と会話型AIが、言語を用いて自然な会話のやりとりができることは、それほど不思議な現象ではなくなります。
このことは、会話型AIが様々な知的能力を身に着けることができている理由を研究する際に、会話型AI自体のメカニズムだけではなく、言語にも着目する必要があることを意味します。
言語の学習と同時に概念の学習ができる構造を深く理解し、それが会話型AIのメカニズムの中でどのように作用しているかを紐解いていけば、知能の本質の理解をより深めることができるでしょう。