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男でも女でもない教育実習生


【男か女かわからない「先生」】


秋。その小学校には何人かの教育実習生が迎え入れられた。全校生徒の前で初めましての挨拶をする際、私は女性用のスーツをパンツスタイルで着用していた。
それでも、目の前の子どもたちが「男?女?どっちだろう」と私のことをまじまじと見ているのがわかる。

校長が読み上げた私の名前は、戸籍上のそれとは異なるものだった。今日から一か月間、私はこの中性的な名前で過ごすのだ。名前を聞けば私が男か女か判明すると思っていた子どもたちがまたも困り顔になっている気がして、でも、どちらかに確定されないでいるこの状態に胸が躍って。

この教育実習を必ずいいものにしよう、子どもたちに誠心誠意向き合おう、と覚悟した。

担当するクラスは小学2年生になった。たくさんのことに関心があって、はっきりものを言う子が多い。担任の先生が興味関心を引き出し、それを生活上の学びに繋げられるようのびのびと子どもたちに接しているのがわかる。

だから、そのクラスの子どもたちは容赦がなかった。「せんせー男?女?どっち?」と、毎日聞かれるようになったのだ。「どっちだと思うの?」と逆に問うことにする。

ある子が言う。「ズボン履いてるから男だよ!」
それはすべての女性に当てはまるものではないので、こう返してみる。
「でも、ズボンの女の人もいるよ?」「確かに……」

「声が女かも!」
確かに治療をしていないので声を張ると高くなる。でも低音で「こういう声も出るよ」と話して笑わせることはできた。

新しく来た期間限定の先生は男か女か。教えて、教えて、と食いついてくる子どもたち。その度に、「どっちだったら〇〇さんは嬉しいの?」と言って子どもの意見を聞いてみる。

「男だったら一緒にドッジボールしてくれるから嬉しい!」と言われたから休み時間にドッジボールで思いっきりボールを投げあう。

「女だったらお絵描き一緒にしてくれるから嬉しい」と言われれば、下手くそな絵をできる限り描いて品評会をした。

読み聞かせの時間に絵本を読むときは、たくさんの登場人物に合わせて声色を変えてみる。子どもたちは素直で、すげーすげーと楽しそうにしていた。

その後も「先生何色が好き?」「彼女と彼氏どっちがいる?」とか「友達は男?女?」とか、「ランドセルの色はなんだった?」とか頑張って情報を引き出そうとする子どもたち。できるだけ誠実に答えるようにしたが、どの答えも決定的な証拠にはならないようだった。
「青が好きな女の子もいるよね」「ランドセルの色が赤い男の子もいるよね」「私も男の子の友達いるし」って。

僕、俺、私……。どれでもなく「先生」という一人称を使えることも、性別不詳さに一役買ってくれたように思う。

日が経つにつれ、「男?女?どっち?」と聞く子に対して別の子が「もうどっちでもいいじゃん」と返すようになるなどした。
最終的に「どっちでも楽しい!先生好き!」と言われて、それが聞けたならもうなんでもいいやと思った。満足だった。

身体的特徴や偏見によって性別をとらえようとしない子どもたち。それはどんな人権団体より居心地がいいかもしれない。

子どもたちは、私に会うことで性別というものをどう捉えなおしただろう。
私たちが思い浮かべる男女それぞれの特徴はあくまで大雑把にあらわされたものであって、すべてに適用できるものではない。すべての女性がスカートを履くわけではないのは当たり前だし、すべての男性が短髪なわけではないのも言うまでもない。
しかし、そのような偏見を小学2年生は既にたくさん持っていた。

それを持っていること自体は悪いことではない。子どもは少ない経験から相手を見極め、味方かどうか判断したり、自分にとってどのような存在か考えたりするからだ。その際の判断材料を持っておくに越したことはないのである。

しかし、簡単に相手をジャッジできる日はいつか終わっていく。人間関係は年齢とともに複雑化し、その経験と知識を活用しながら、自分の力で人を捉えなおす作業が必要になっていく。イレギュラーな存在である私は、それを少し早めたかもしれない。
それまで思い描いていた男女というくくりでは説明できない人がいるということを知識の一つに加えてもらえたら、と思っていた。

そして、実習を通して、男女がどちらであっても、一緒に遊んだり学んだりできればそれはそういう「先生」として子どもから認められることがわかった。

大人の中には、話す相手の性別によって態度を変えたり話す内容を変えたりする人がいる。しかし子どもはそうでもなかった。どこかで学ぶのだ。いったいどのポイントなのだろう。子どもはそんなことしなかったのに。

【私について】


性別を不詳にして実習に臨んだのは理由がある。
私が自分のことを男でも女でもないと感じているトランスジェンダーで、その中でもXジェンダーまたはノンバイナリーをジェンダーアイデンティティに持っているからである。

この説明にすぐに納得できる人が多くはないのはわかっている。「どちらでもない」というあいまいさは相手を混乱させると知っているし、相手が困っているのを見て私自身も苦しくなることが多い。

相手をすっきりさせるためにジェンダーアイデンティティが変えられたらいいのに、とも思ってしまう。でも変えられないんだよね……。

ただ、せっかくなら、後に実習に臨むかもしれない同じようなジェンダーアイデンティティを持った誰かの役に立つような実績を残したいし、後の参考になるようにしたいと考えていた。

【受けることができた配慮】


こんなに満足な実習を受けることができたのは、実習先でたくさんの配慮を受けることができたからに他ならない。

例えば、先生方が男性とも女性とも明言しないこと。
そもそも私の戸籍上の性別を知っているのは校長や実習担当の先生だけだったので漏れることがなかった。また、子どもたちが私の性別を知ろうとして別の先生に「教育実習の先生は男か女かどっち?」と聞きに行ったとき、「本人に聞いておいでよ」などとアシストしてくれた。本当に素敵な対応をしてもらったと思う。

また、個人的に大きかった配慮は戸籍名ではなく通称名を使うことを許可してもらったことだ。
戸籍上の名前はその性別らしさが出すぎている。ずっと使いたかった中性的な名を子どもたちの前で名乗り、学級通信や名札には通称が記された。
ただ、公的書類(出席簿等)は戸籍名であった。資格取得には戸籍名で実習を行った証明が必要だからである。戸籍名を知っているのも校長や担当教員などだけであった。

そして、更衣室は教育実習生用のものを用意してもらった。
本来は男女に分かれた教職員用の更衣室があるのだが、普段使わない家庭科準備室に衝立をつけてもらってそこが教育実習生専用の更衣室ということになった。これで他者の目に触れる形での衣服の着脱を行わずにいられた。

トイレは多目的やオールジェンダーのものがないので教職員用の女性トイレを使うことに。
これに関しては残念だが、設備がないのは仕方ないよね……。子どもに性別がばれないように、いないタイミングを見計らってトイレに行くのは少し苦労した。

そして、実習中の服装。スーツで出勤しなければならないが、学校に着いたらジャージに着替えていいことになった。
これによって、ほとんどの子どもが最初の全校集会での挨拶でしかスーツ姿を見ていないことになる。小学生を相手にするのはよく動くし、休み時間は外に出て遊ぶので、常にジャージでいられるのは便利だった。

なんにせよ、性同一性障害や性別違和等の診断書も持っていないのにここまでしてくれるとは思わなかった。
自分一人ではここまでやってほしいとお願いすることはできなかったかもしれない。どれもこれも、大学の先生が交渉してくれたことで実現したのだ。

【交渉】


大学の先生方は、私がトランスジェンダーで男女どちらでもないジェンダーアイデンティティを持っていることを知っている。なぜかというと、

・LGBTなどのセクシュアルマイノリティについて学んだり考えたりするサークルを立ち上げ代表を務めており、講義内でも何度か宣伝させてもらっていたから

・大学で通称名の使用許可や学籍簿の性別欄の削除などを求めて運動しており、自分のジェンダーアイデンティティについて教職員に説明していたから

である。

そのためか、大学の教職員は非常に協力的で、特にゼミの先生は活発に助けてくれた。教育実習先が決まるや否や、私に必要な配慮を問いただし、実習先と交渉をしてくれたのである。

「児童生徒に対するきめ細やかな対応」


文部科学省が教職員向けに出している「性同一性障害や性的指向・性自認に係る、児童生徒に対するきめ細かな対応等の実施について」という通知をご存じだろうか。
性的マイノリティの子どもがそれを理由とした困難を抱えることなく学校生活を送れるよう、教職員がどのように対応すべきかがまとめられたパンフレットのようなものである。

それによると、服装、更衣室、呼称などで性同一性障害に係る子どもに対して支援ができることが記されている。


文部科学省 性的マイノリティに関する施策 学校における対応等について

私は教育実習生のため児童生徒ではないが、このような通知がある以上、学校という現場での配慮は可能なのではないかということを大学教員はおっしゃってくれたようであった。

とはいえ、私は性同一性障害の診断を持たないし、出生時に割り当てられた性別と反対の性別をアイデンティティに持っているようないわゆるわかりやすいトランスジェンダーではない。
「男女どちらでもない」というのは扱いにくいだろうし、理解もされにくいだろう。そのため、言葉を尽くして説明してくれた大学教員には頭が上がらない。

【性別違和のありそうな子どもたち】


クラスに入ってしばらくして、たぶん性別違和があるんだろうな、という子を見つけた。

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