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実は伝統的ではない「伝統的な金融政策手段」
コールレートを政策目標にしたのは1995年
日銀は、昨年末に公表した「金融政策の多角的レビュー」において、過去四半世紀余りにわたって自らが採用した、「様々な非伝統的金融政策手段」を、「短期金利の操作による伝統的な金融政策手段」と比較しつつ、評価をしています。
ところで、そうした評価の比較対象とされている、「短期金利の操作による金融政策手段」は、言葉のイメージほどには「伝統的」ではありません。
実は、日銀が金融調節の誘導目標として短期市場金利に言及したのは、1995年が最初です。3月末に、「日本銀行は、当面の金融調節に当って、現在の公定歩合の水準と整合的な範囲内で、(中略)短期市場金利の低下を促すことが適当と判断した。」とされたあと、7月に一段の短期金利引き下げを公表した際に、「市場金利は、平均的にみて現行公定歩合をある程度下回って推移することを想定している。」と、初めて誘導目標としての水準感にも言及しました。
それまでは、専ら公定歩合の引き下げ・上げを政策変更としてアナウンスしていました。もちろん短期市場金利もコントロール対象ではあったと思われますが、対外的に水準感を明示して誘導していくスタイルではありませんでした。1995年までは、市場金利を大幅に下回る公定歩合での「日銀貸出」が短期市場の資金需給を均す手段として多用されていました(日銀が借り手の意向に関わらず、好きなタイミングで貸出を実行・回収できる)。
ちなみに、白川元日銀総裁が書かれた「現代の金融政策」(2008年刊行)でも、「先進国の中央銀行では、現在、金融市場調節方針はオーバーナイト金利、ないしこれと期間的に非常に近い短期金利に関する誘導目標というかたちで示されるケースが圧倒的に多い。しかし、今日のようなかたちで金融市場調節方針が示されるようになったのは比較的最近のことである。(中略)米国でもFOMC終了後直ちにフェデラルファンド・レートの誘導目標が公表されるようになったのは1994年2月から」とされています。
窓口指導等による量的コントロールも「日銀の伝統的手段」
また、1991年まではいわゆる窓口指導によって、金融機関の民間貸出の増加ペースもコントロールされていました。当時の日銀の公式な政策説明資料といえる「図説日本銀行」(日銀総務局総務課長・企画課長共編。1986年3月の改訂版が手許にあります)でも、窓口指導を「重要な政策手段」としています。さらに1991年には預金準備率も実際に引き下げられています。つまり、少なくとも我が国においては、こうした(短期市場金利操作以外の)資金量をターゲットとした政策手段もミックスした(換言すれば、多角的レビューの想定するような「伝統的」ではない)金融政策が、レビュー対象期間の大半の時期において、「伝統的に」行われていたことになります。
短期金利操作だけで多様な政策期待に応えられるのか?
「多角的レビュー」は、「非伝統的な金融政策手段は短期金利を操作対象とする伝統的な金融政策手段の完全な代替手段とはなりえない」としています。それはその通りなのですが、「レビュー対象期間以前の我が国における伝統的な金融政策」が、民間融資量の直接コントロールを含めたさまざまなツールの合わせ技であったことを踏まえますと、短期(市場)金利を対象とした「教科書的な意味での伝統的手段」だけでは、昨今のわが国における金融政策への多様かつ過剰な期待(国内物価のみならず、為替、景気、さらには生産性向上や気候変動・・・)に対応できない局面が出てくるかもしれません。
ちなみに、日銀自身も、多角的レビューの一環で、「貸出増加支援資金供給」について貸出の増加に効果があったとのレポートを公表しています。
https://www.boj.or.jp/mopo/mpmdeci/mpr_before1995/k950707.pdf