通園路にはゴミステーション
ようやく刺すような夏の暑さがやわらいで、季節は秋になってきた。
今日も長男はリュックを背負い、保育園へ行こうとお気に入りのくつを履く。
「ああ、きょうは水曜日だから、ゴミ収集車に会えるかもしれないよ」と私は息子に言った。
家から保育園までの通園路には、ゴミステーションが点々としている。
私の言葉を皮切りに、勢いよく玄関を飛び出し、待つこと10分。なかなか現れないゴミ収集車。私の胸の中には、まだ3ヶ月の次男がすやすや眠っている。
育休中だから、こんなにゆっくりと息子の好きを待っていられる。ずっとずっとこんな朝ならいいのにと、なんだか胸が痛む。
さて、ゴミ収集車はなかなか現れない。息子は待つ。彼は待つことが結構得意らしく、行列にも並んでいられるタイプで、その気の長さはパパ譲りなんだろうと自分の気の短さに気付かされる。
待てど暮らせど現れないゴミ収集車。私は息子に提案をする。
「あのゴミステーションまで、先回りしない?」
どうやら賛同を得られたようで、息子は私とは歩み始めた。そのゴミステーションでも、おしゃべりをしながら、道行く他の園児をそっと目で追いながらゆったり待つ時間を楽しんでいた。
でも私はというと、「全然来ないね」「来るのかな?」などと夢のない発言ばかり。
息子は私に「来る、待てる。」と言って、希望を持っていた。ただゴミ収集車を見るだけなのに、そんなに目をきらきらさせて、いきいきさせられるものか。
長男は私に、空には沢山の飛行機が飛んでいること、ショベルカーやクレーン車がそこら中で働いていること、花や雲や月や星が心を動かすものということを教えてくれる。
途中、同じ園のお母さんが自身の子を送って行った後に声をかけてくれた。
「行きたくなくなっちゃった?」と心配そうに息子を見つめてくれた。
私が「ゴミ収集車待ちです」と答えると、にこやかに笑って去って行った。
もう日陰に座ろうか。家を出てからもう25分。保育園までは歩いて5分なのにと思いつつ、こんなに有意義な時間は今だけだとまた少し寂しくなった。
お祭りに使う山車の蔵に、少し小上がりになった場所があったからそこに二人で座った。私はすこし膝を伸ばした。息子は、私の足の上に座りたいと言った。
息子は弟が私の胸の中にいるのが、本当はいやで、私に常に抱っこしてほしいと思っている。だけどそれは口には出さない。息子が抱っこをせがむときは、必ず私が次男をおろしたあとだ。
足の上に座った長男。可愛いなぁ。もう4歳かぁ。いや、まだ4歳なのか。
その瞬間、ブォーンという車の音がした。「あ、来たよ!」の私の声と共にスッと立ち上がり、ゴミ収集車に走る彼の後ろ姿を追いかける。
ゴミ収集車に乗っていたお兄さんがにこやかに手を振り、対応してくれて、息子は満足そうだ。
ゴミが吸い込まれていくのをじっと見る時間。水曜日はプラスチックごみの日。ごみたちがバキバキバキと音を立てて潰されていくのが面白いようで、飽きずに見ていた。
一つのゴミステーションの回収作業が終わった。さあ、それを皮切りに、次のゴミステーションへ走ろう。私と手を繋いで一生懸命走る。3ヶ月の次男はあいかわらず眠っている。
さあもうすぐ着くぞ。というときに、自転車に乗ったおばあちゃんが「がんばれがんばれ!」と応援してくれたり、通りかかったビジネスマンも振り返ってまで私たちを見守ってくれた。
そうして着いた次のゴミステーションでも、精一杯楽しんだ。
ただゴミ収集車を見るだけのこの時間、見るまでに待った25分という時間、地域に守られていると感じる通りかがりの人間たちの温かさを、愛しく思った。
子育ては、夫婦だけのものじゃないと痛感する出来事でもあった。
そして、彼の人生はゴミ収集車ひとつでもこんなにワクワクして、彩られていく。彼の人生の彩りを増やす手伝いができるのは、親である私もその一人。好きだと思えたことや、見てみたいやってみたいという好奇心を私が潰してならない。
面倒くさがりの親のもとに生まれてしまった我が子だが、重い腰を上げて彼の人生をもっと応援していこう。
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