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どこがキリストやねん。
今日は、世界自閉症啓発デーです。
☆☆☆
高校2年の時、斜め後ろの席のクラスメートから、
「おまえって、キリストみたいやな…」
と。
彼は知らぬ間に ボクの席の横にやってきていて、ボソッとそれだけ言うと、???でいっぱいになったボクを残し、すーっと、どこかへ行ってしまいました。
それは、決して賞賛の意は含んでおらず、かといって、彼がキリストが大キライで ボクに敵意があっての言葉とも思えず、ボクには 物事を とりあえず自分の都合のいいように解釈できる才能が その頃から備わっていましたので、恐れ多くも相手はキリスト様、文句を付ける筋合いはありません。
彼は無口で、いつも不思議なオーラを発している奴だったので、彼ならそれくらいの事は言うやろう と、その時は気にも留めていませんでした。
彼とは親交はなく、言葉を交わした記憶さえ、その「キリスト」以外は思い浮かばず、ましてや彼が自閉症スペクトラムだったかどうか?なんて、今では知る由もないのですが、初めて「自閉症スペクトラムとは何か」(千住 淳 著)を読んだ時、一番に彼の事が思い浮かびました。
昔、スパルタ教育を売り物に、社会不適合者を更生させるヨットスクールが、もてはやされました。
でもそれは到底「教育」と呼べるものではなく、「調教」と言ったら 競走馬や警察犬を愛情持って育てておられる方に失礼。
実態は、暴力でもって絶対服従を強いる「収容所」だったようです。
当時、死者まで出して、それでもなお、自分たちの教育方針は正しい!と、コメントが流れていました。
もし、この本が 50年前に出版されていて、教育に携わる者なら入門書として 当たり前に手にしていたなら、
もしかしたら、彼は「収容所」に行かなくて済んでいた?
彼は、殺されずに済んだかもしれない。
と、甘いかも知れないけど、そんな風に思ったのでした。
今でも知的に目立った障害がなければざっくりと、変わり者、厄介者として除かれる世の中ですし、かのヨットスクールも未だに同じようなことを掲げて営業してるらしい…
でも、今からでも。
もし、彼が今も生きていて、同窓会かで出会うことができて、ボクの事を覚えててくれたなら、聞いてみたい。
「ボクの、どこがキリストやねん!」