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きっと 昼間のダイバーシティは騒がしい。


  ギャンギャン泣く子供がうるさい!
親の躾はどないなってんねん!

 新幹線のグリーン席で寛げない、静かだった住宅街に新しくできた公園で子供達の声が喧しい、と文句を言うSNSの投稿にいいね、賛同するコメントがいっぱいついていました。

 騒がしい子供を黙らせるのか、静かに過ごしたい大人がガマンするのか?

⭐⭐⭐

七年ほど前の話です。

  娘の中学校は、1年生から3年生まで、各4クラス。
体育祭では、1年生~3年生のA組はA組チーム、 B組 C組 D組 と縦割りに四つのチーム対抗、賑やかな応援合戦も名物でした。

 体育祭へ向けて、合同練習の時間。

3年生のリーダーの号令に合わせ、鳴り物入りの大きな声の応援練習。

 先生が、見ていない時でした。

 リーダーの男の子が、俯いていた1年生の一人の女の子に注意しています。

顔を上げて、皆と一緒に大きな声で!

 俯いたまま黙っているその子と娘は同じ小学校の同級生、娘は、その子の聴覚過敏を知っていたので、応援がイヤなのでなく大きな音が苦手なことをリーダーに告げました。

 と、今の練習の時だけは離れた場所に移動して、本番はその子はイヤーマフ持参でと、リーダーも納得、子供たちだけで無事『合理的配慮』です。

その子は、体育祭を楽しみにしていたそうです。

 その話を聞いて、へそ曲がりなボクは、

もし、娘が違うクラス、先生もその光景を見ていて…
 先生によっては、全く違う展開になったかもと。


 もし普段から、集団の規律は美しい、平等が大切、安全のために中止は やむを得ない …とお考えの先生なら、

その1
 
聴覚過敏なら、賑やかな体育祭は苦痛にちがいない、パニックになったらアカン、保護者に連絡して、その子は休ませよう。

その2
 聴覚過敏の子が居るんだから、鳴り物や大きな音は出さないように、静かに応援するよう指導しよう。
なんなら応援合戦なんて無くたって体育祭はできるはず。

本人の「皆と一緒に応援したい」意志が置き去りのまま、7年経った今でも、そんな指導をする先生達が居そうです。

⭐⭐⭐
 
 ダイバーシティはよく、ごちゃまぜと表現されます。
 となると、その場所の目的にもよりますが、おおよその昼間の公共スペースは、ギャン泣きする子供もいて当たり前。
 新幹線のグリーン席、昼間の公園から、ギャン泣きするからって排除?
少子化を進めたいの?と批判されても仕方ない…

 では、「新幹線のグリーン席でゆったり静かに過ごしたい」大人の意志は?
 子供が乗っていたら不運とあきらめるか、1台遅らせるか、ホンで、遅らせて次の車両にまた子供の団体がぁ!なんて。

 合理的配慮は、障害者だけのモノではありません。
 「新幹線のグリーン席でゆったり静かに過ごしたい」意志が叶わない、その社会的障壁を取り除くには、乗る大人が新幹線をあきらめるギャン泣きの子を黙らせるのは、不合理極まりない。

 騒がしくない違う車両へ席を代えてもらうか、音を遮るイヤーマフ、 最近のイヤホンはノイズキャンセラーなんて機能もあるし、ジャズなり演歌なり聴きながらの旅も乙なもの。
合理的じゃあ、あーりませんか!

 ボクは常々思っているのですが…

   公共スペースの昼間は騒がしいもんや
 が、一般常識にならないと、子供の居場所が無くなって、ますます少子化が止まらないのではないかと。

 ボクはそう思います。

⭐⭐⭐

 能登半島地震の際。
#障害者を消さない が流れました。

ヘラルボニー

「大声を出す娘の口をガムテープでふさごうと思った」
東日本大震災、重度の知的障害のある娘と一緒に避難所に身を寄せていましたが、
毎晩の大声に身も心も疲れ果て、避難所を離れた家族が口にした言葉です。
何人もの障害のある人が、避難所から追放され、半壊した自宅への帰還、親戚の家に身を寄せる状況に陥りました。
避難所から、障害者が消えたのです。
能登半島地震、今現在この瞬間も、障害のある人は生活環境の変化により、大きく混乱をしているはずです。
災害時の変化に困り苦しむ人々に向けて、適切で信頼ある情報を提供し、異なる人々とのコミュニケーションを促進できたなら。
守ることのできる命もあるかもしれません。
避難所で、大変な時を共に乗り越えられるかもしれません。
障害者が消えることのないように。

#障害者を消さない より


  避難所にも、ギャン泣きする子供に限らず、大声が出てしまう障害者もいる当たり前が 広がるよう願っています。
 
 きっと避難所は、いつも騒がしい。
 
 

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