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「オモシロイノコト、アルヨ!」
四半世紀以前の、バリ島クタビーチでの出来事です。
☆ ☆ ☆
「アナタノネダン、イクラヨ!」
アクセサリー売りのkikiさんの、決めゼリフです。
ミツアミ、マッサージ、アクセサリー…
いっぱいの物売りに囲まれている新婚旅行らしき日本人の男女。
バリへ来たばかりなのか、まだ肌が白いカップルが見えました。
「メーカー希望小売価格」なんて設定されていない、値段交渉に全く縁のない2人は、まんまとkikiさんのペースに乗せられていきます。
『自分の値段』で買っているのだから、後で、他所での相場を知って、騙されたとkikiさんを恨むのは筋違い。
当時のガイドブックには
『クタビーチは治安があまり良くない。
特に、悪質でしつこい物売りに要注意!』
と、名物のように書かれていました。
しつこい物売りとは、kikiさん達のことです。
最初はしつこい物売り達だけれど、曖昧な態度をせず『何も買わない!』と明確に示せば、物売り達だって無駄な動きはしません。
現に彼らは、ビールばかり飲んでいるボクのところへは、日本硬貨をルピアに換金する時しか、やってきませんでした。
そんな中で、日本語のうまいkikiさんだけは、暇をみては お喋りにやってきました。
日本語の練習になるのでしょう、日本語を流暢に使える事も、 kikiさんのビジネスには大事な事と心得ているようです。
kikiさん達がビジネスを始めだすと、とたんに賑やかになります。
ボクが日本人だと気づかれた事はなかったので、kikiさん達の近くにいて、日本人旅行者相手の時でもkikiさん達のビジネスの邪魔はしませんでした。
kikiさんは、クタの浜の色々な情報を教えてくれました。
目の前を通った男は、ジャワに子供が6人もいるジゴロで、そのジゴロに騙されている日本人女性が、今、あそこのホテルに 来ている…
時間はゆったり流れていましたが、退屈ではありません。
kikiさんはキンタマー二高原出身のバリニーズで、デンパサールに住む、2人の子どものお母さん。
ホントの名前は、どこそこの何番目でと、難しい言い回しを含んだ本名があるのですが、浜ではkikiさんで通していました。
kikiさんは、とてもクレバーな女性でした。
日本人旅行者に人気があるらしく、
『ニッポンジン、トモダチ、イッパイ!』
kikiさんの旦那さんもビーチの物売りで、西洋人相手に、木工美術品を商いしていました。
Kikiさんのために阪神タイガースのハッピを土産にしたことがありました。
それを旦那さんが着ていたら、日本人旅行者(たぶん関西)から、 かなりフレンドリーに来られてしまい、英語しか喋れない旦那さんは往生してしまったそうです。
気の良さそうなダンナさんで、でも稼ぎはkikiさんの方が、はるかに良さそうでした。
ボクにとって、クタビーチはとても居心地が良い所でした。
サーファーなら一度は訪れてみたい! 憧れの浜。
時折見かける、自前のサーフボードを抱えた、本物のサーファーが眩しい。
当時、年一回ペースで会社の独身男3人組、旅仲間と一緒にバリを訪れていました。
30代独身男性3人組で、スキューバダイビングをするために。
こう書くと格好良さげですが、当時、独身男性3人の海外旅行は、何かといやらしい疑いの目で見られるので、
「ちょっと、バリで、潜ってきます!」
(バリはサーフィンで有名ですが、逆に波が立つと水が濁るので、ダイビングスポットはメジャーな所は無いようです)
魚に詳しいわけでもなく、ダイビングの前夜は酒が飲めなくなるのもあって、最初のうちに1日2ダイブだけこなして、あとはのんびり、プールサイドのバーでトロピカルドリンクなどを楽しみ、あわよくば素敵な 女性達とめぐり逢って、そのまま恋に落ちる…
そんな計画を立てていました。
バリ滞在中は、それぞれ別行動も多く、サーフィンを始めたばかりの他の二人は、ひたすら海に浸かり、サーフショップを巡り、女の子に声をかけ…
3人別々に動く時、ボクはサーフィンをするわけでもなく、海に入るのは日焼けした肌を冷ます時だけで、ビール売りのオジサンに筵を敷いて貰い、喉が乾けばビンタンビールを飲み、 kikiさん達と無駄口をたたき、お腹が空いたら レンタルパラソル屋の兄ちゃんにお願いして、サテ(焼鳥みたいな)を買ってきてもらい、サンセットが終わる頃、ようやくビーチを 離れる過ごし方をしていました。
ビール売りのオジサンにとっては、日本で買う缶ビールと同じくらいの値で、日に7~8本も飲んで行くのだから、ボクは上得意の客だったのです。
オジサンはいつも、良いタイミングでビールを提供してくれました。
☆ ☆ ☆
「カトー、アシタヒマネ?」
特に、予定はありませんでした。
バリ島北東部キンタマーニ高原へ、kikiさんの旦那さんの運転で、日帰り旅行のお誘いです。
翌日、ボクたち旅仲間3人と、kikiさん一家と妹さんも一緒に、kikiさんの実家へと向かいました。
先生をしているという、kikiさんのお父さんにご挨拶をし、湖で遊覧船に乗り、温泉につかり…のんびりとした1日を過ごしたのでした。
キンタマーニへ向かう、行き道での事。
kikiさんは、知り合いのレストランで昼食を!と、考えて いたようなのですが、生憎その日、そのお店は閉まっていました。
仕方なく、看板に日本語も書いてある、観光客用のバイキングスタイルのレストランに入りました。
kikiさんは、えらく不機嫌になっています。
「タカイヨー! サテ、ナシゴレン、ト、ジュースタケ!」
支払いは、もちろんボクたちです。
でも、車へ戻っても、まだ怒っていました。
ボクたち3人とkikiさん一家、観光地だし仕方ない、同じような料理をホテルで食べても、同じくらいの価格になるでしょう。
でも、その合計額はバリ島のホテルで勤めるフロント係クラスの、1ヶ月分給与ほどの額でもありました。
「ニッポンジン、カネモチネー! って、とこかな」
と、ボクがなだめるように言うと、kikiさんは、ボクを睨んで、
「チガウー! ニッポンジン、シラナイタケ!」
☆ ☆ ☆
「カトー! オモシロイノコト、アルヨ!」
クタビーチ、一人で、ビール売りオジサンの横でビンタンビールを飲んでいた時の事。
kikiさんが遠くから呼んでいました。
「ハヤク!ハヤク!ドロボーヨ!」
『ドロボー』とは盗人のことか? 『ドロボー』がオモシロイ?
よく掴めないまま、kikiさんに促されて、レギャンの方向へ歩いて行くと、そこには数人の人だかりが出来ていました。
人垣の間から覗いて見ると、10歳ぐらいの少年が、ちょうどポリスマンに連れて行かれるところでした。
その少年の顔は真っ赤で、かなり殴られたようで、目の上が腫れ上がっていました。
「ナンダ、コドモネ!」
kikiさんは、なぜか残念そうでした。
その少年はビーチで、オージー女性のサイフを置き引き しようとしたようです。
「オトナナラ、コウネ!」
kikiさんは、鼻を指先で曲げてみせました。
大人の『ドロボー』なら、みんなに代わる代わる殴られて、鼻をへし折られたりが当たり前らしいのです。
で、kikiさんは、ありがたいことに、ボクにその『ドロボー』を殴らせてあげようと、わざわざ呼びに来てくれたのでした。
これが『オモシロイノコト』の正体。
ボクは、決して、人を殴れる事に喜びを感じるタイプではありません。
ホッと胸を撫で下ろしました。
でも、もし、今さっきの『ドロボー』が大人だったら、で、その大人を殴らなければならないとしたら、
ボクが人を殴るなんてできるんやろうか?
そんな疑問が浮かびました。
そんなん、無理や。
ここでは、『盗みはダメ』という正義を全うするために、たとえ相手が初対面の個人的な憎みのない人間で、無抵抗でも、喜んで殴らなければならない?
…悪人だから?
尻込みしてしまうだろうボクを見て、kikiさんは、ふがいない日本人と軽蔑して笑うかもしれません。
笑われても仕方ない。
だいたい、ビーチに大事なサイフを持ってくるオージー女が間抜けなんや!
と、無性に腹が立ってきました。
「カトー、ドシタノ?」
ボクは、恐い顔をしていたようです。
kikiさんが心配顔で覗き込んできました。
kikiさんのキョトンとした顔を見たとたん、さっきのオージー女に対する怒りはすぐ消えました。
「あの子、なんか、かわいそうやったな…」
「カワイソーナイ! ドロボーダメヨ!」
kikiさんは容赦ありません。
当然です。
kikiさんにとってみれば、このビーチに来る大切な観光客が、『ドロボー』が居ると、来なくなってしまっては一大事。
kikiさんは、バリで、このビーチで、しっかり生きています。
守らなければいけない、生活がある。
働いている店を思い出しました。
その店は、その玩具チェーン店の中で、不明ロスはトップクラス、その不明ロスのほとんどは、万引きでした。
いつも、店別の目標に『ロス管理の徹底』が真っ先に 掲げられていました。
その地方都市は、駅前に堂々と『人権を守ろう!』のモニュメントがあり、人権都市宣言を、ことのほか強調していました。
ショッピングセンターのテナントマネージャーから、
「万引きは絶対、捕まえんといてください。
もし確実に見つけたとしても、商品が戻ってきたんなら、名前とか聞かんと、そのまま帰すようにしてください」
人権団体ががんばっている、臭いモノにはフタ?
書面で忠告せずに
「極力、警察沙汰にはせんようにしてくださいね」
口頭でしつこく注意されていました。
常習犯は、そんなこと承知の上、具体的対策は「いらっしゃいませ運動」だけ、効き目の薄い対策しか、万引き常習犯を追い払う手段はなかったのです。
『治安が良くない』のは、どっちの方や…
暑い日差しの下、やけに頭を使った気がして疲れてしまいました。
ビール売りのおじさんは、戻って来たボクの顔を見るなり、タイミングよくビンタンビールの栓を開けてくれました。
その時のビンタンビールが、今迄で飲んだビールの中で一番おいしいと感じました。
でも、いつものように、ゆったりとしたいい気分には、戻れませんでした。
インドネシア語を少しだけ覚えただけで、バリニーズ気取りだった自分が、ちっぽけに思えて恥ずかしい。
結局、ボクも、ただの日本人観光客の一人にすぎなかった・・・
日本から遠く離れているのに、テナントマネージャーの 苦い笑顔が思い浮かんできて、頭から離れなくなりました。
クタビーチは、思ってたよりずっとセキュリティーがしっかりしてるんや。
良い所に来てるやないか・・・
ボクは、なんとか自分を納得させて、オジサンにもう一本ビンタンを頼んだのだけれど、同じビンタンなのに、しっかり冷えているのに、さっきと比べてそれは、全然美味しいとは思えなかったのです。