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おもちゃ論~デジタルか、アナログか。

「目新しいおもちゃじゃないと子供は飽きてしまうのでは」という大人な風潮が私はどうも苦手である。子供向けの番組に挟まれたおもちゃのコマーシャルですら、おもちゃそのものと描かれる世界観のギャップを想像してしまってアラフォーなのにまだ慣れない。

ビジネスなのも理解するしIT業界に携わる人間だし日々iPhoneやiPad、ノートPCをこよなく愛する私のこのヘンテコな苦手意識、一体なんなんだろう。子供のおもちゃはデジタル色の強いアイテムこそがまるで良いモノであるというような、そんなレッテルに強い違和感というか抵抗感があるというか、そんな感じなのである。

お砂場にて。語り継がれる砂団子(私はまだ作れない)

赤子のおもちゃを選ぶとき、周囲の人々はたくさんのボタンがついたモノ、デジタル化で煌めいているアイテムをすすめることがしばしばあった。今ではわたしが必要最小限のアナログ派だと知るから減ってはきたけれど。

自己分析の結果だが、おそらくAのボタンを押したらAの反応みたいに決まった反応が返ってくるだけのオモチャが嫌なのだろう、と思っている。大人が仕掛けた仕掛けしかない。大人はどうなるかはわかっている。子供が迷っているところに大人がヒントを与えたりして、、、出来レースというと大袈裟だけど、そのシチュエーションが多分好きではないんだろうなと自身で納得はしている。

「アソビのある遊び。」

それこそが面白いと思うのだ。そしてこのアソビを生み出すのはデジタルじゃ永遠に無理だろうなと思っている。だって01でしか処理されないものだから。仕込んだプログラムの範囲内でしか機能しないのだから。たとえAIが発達したとしてもあくまで統計的に誰かが仕込んでいると思うと。。遊びとしてはなんか面白くないのである。(どっちかというとそういうものが作れないかなーと思って作っていくプログラムの組み立て過程とかの方が人はそそられるのだろうと思っている。私の職業柄ときめくだけなのかもしれないが)。

デジタルなおもちゃを否定しているのではない。デジタルの方が素晴らしい、より最新の技術が駆使されたおもちゃが素晴らしいという世間の風潮に疑問がある、というのが率直な気持ちである。

木の棒、砂、水、風。。。おもちゃは買えるものがすべてではない。自然と共に生きる限り、なんでもおもちゃになりうるし、道具がなくても十分遊べる。それは子供が一番知っている。というかなんでもおもちゃにしてしまうし、なんでも面白がってしまう。私たちが出会ったことのあるものを彼らは知らないことの方がほとんどだ。世の中は刺激で溢れているし、毎日外界はコロコロ変わる。この事実はITがどれだけ発達しようとも地球上で生息する限り変わらない。

ということで、個人的にはやっぱりデジタルよりはアナログ寄り、それも所有するのは最小限でいいかなあと思うこの頃である。生き物に触れ、自然とともに小さな気づきを積み重ねつつ探求心をふつふつと満たしていくことを今は大事にしたい。

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