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鳥山明とドラゴンボールと私

鳥山明先生が亡くなった。
なんでか、どういうわけか、一生死なない気がしていたことに気付いた。

有名人の訃報でここまで胸にぽかんと穴が開いたような感覚になったのは初めてだ。悲しいとか、残念とか、そういうところまでまだ気持ちが届かない。

世の中に素晴らしい作品は数あれど、今も昔も一番好きな漫画がドラゴンボールで、一番好きなゲームがドラクエである私にとって、鳥山先生はいわゆる神様であった。

私には年の離れた兄がいたこともあり、物心ついた頃には家にドラゴンボールが全巻揃っていた。
他にも今も愛される名作少年マンガが揃っていたし、いずれも納得の面白さではあったものの、いまだに私の中の頂点にドラゴンボールは君臨し続けている。

大学で東京に進学した時は、真っ先に秋葉原に行き、ドラゴンボールのグッズを探した。
その時に買ったカプセルコーポレーションのロゴや栽培マンが書かれたTシャツ、レッドリボン軍のロゴ入りパーカーはその後10年近く普段着として愛用することとなる。

まじで普段着。大学にも普通に着て行ってた。
ってゆうか今でもドラゴンボールを着ている。今あるのはユニクロやグラニフのコラボ商品かな。まじでお気に入り。


ドラゴンボールを読んだことない人や、苦手意識のある人にとっては、筋肉ムキムキの宇宙人(サイヤ人)が、人間だったりそうじゃなかったりする生物たちと、盛大に建物や自然や惑星を破壊しまくる、という設定としてはめちゃくちゃに思えるバトル漫画かもしれない。あくまでめちゃくちゃ雑にまとめれば。

でも、ストーリーを軸に考えればバトルはオプションみたいなものだと思っている。(とはいえ鳥山先生の描くバトルシーンはとても緻密で超絶かっこよすぎる!!!!よ!!!!!)

私にとってドラゴンボールは、強さや勇気や友情みたいなものよりも、大きな人間愛の話なのだ。

具体的にどの話のどのシーンが…というのはなかなか難しいのだけれど、作品全体に一貫して優しい液体みたいなものがじゅわじゅわに染みこんでいるような感覚がする。

そして、ひたすら強さを、そりゃもうストイックに追求しながらも、少年の無垢さや純粋さを心の真ん中に掲げて、とにかく明るく気負わず軽やかに地球を守る悟空という存在は、その後のヒーロー像に大きな影響を与えたと思っている。

その他の登場人物も魅力にあふれており、全キャラクターの魅力を語ってしまいたいくらいだけど、それはやめておこう。
ちなみに私の最推しは昔から一途にピッコロ様である。次点は人造人間8号のはっちゃん。


そして、これまた幼い頃から兄が遊んでいるのを見て育ち、その後兄以上にどっぷりハマったドラゴンクエストのキャラデザインも鳥山先生。

”モンスター”という、どちらかといえば不気味で恐ろしいイメージのあった存在を、スライムが代表するように、なんとも愛らしいイメージにしたのだからすさまじい。

だって本来スライムって、あの、ドロドロのアレよ?
もっとグロテスクに表現できそうなところを、クリクリした目の可愛らしい姿にして、弱いんだか強いんだか、敵意があるんだか無いんだかようわからんヴィジュアルに仕上げているんだから。

ちなみに今もドラクエ過去作をたまにやる。まじで面白い。
もちろんスクエニの素晴らしさも、ゲームクリエイターたちの素晴らしさもあるのは大前提だし、大拍手なんだけど、それでも私の場合は鳥山先生のキャラデザインだったから好きになれたと思っている。


鳥山先生の描くキャラクターは、かっこよさもあるけれど、どこかにお茶目さが潜んでいる。

ドラゴンボールやアラレちゃんに限って言っても、完璧なキャラクターって記憶にあるなかでは誰もいないのだ。

どんなに強くても可愛くても賢くても、どこかみんなおっちょこちょいだったり恥ずかしいシーンがあったり情けなかったりする。敵味方関係なくである。

だから、すべてのキャラクターを愛せるのかもしれない。

どこかみんなドジで情けなくて、ズルいことを考えたり弱音を吐いたりすることもあるってことを、コミカルに教えてもらった。
それでいて、みんな最後の最後は乗り越えたり受け入れたり開き直ったりして、大事な人や地球のために一歩を踏み出すのだ。

人間の弱さも強さも、明るさも暗い部分も、決してシリアスではなく爽快に、軽快に、それは誰でもあって当たり前のものだと言わんばかりにカラリと伝えてくれる。

そういうところに、会ったこともない鳥山先生の温かさみたいなものを感じていた。

実際、ドラゴンボールのなかに悲しみに打ちひしがれたり、泣き暮らしたり、魔術以外で闇落ちしたり恨み倒したりというシーンは限りなく少ない。
とはいえストーリーとしてはかなりヘビーなシチュエーションも多く、人生の辛い部分も含まれている。でも、それを詳しくは描かない。

悲しみや辛さに関して多くを語らない、描かないのも特徴的かもしれない。

これは、大人になってから気づいたことだけど、でも、人間ってそういうもんだよなーと。

ある程度生きていれば、辛いことや悲しいことがまったくなかった人なんてきっとほぼいないけど、みんなそういうのは、人目に付かない、漫画で言えば数コマしか映らないようなところに隠して生きているよな、と。

その人の中では壮絶な物語だとしても、地球を救う物語の中ではほんの数コマにしか過ぎなくて、それは寂しいかもしれないけど一概に悲しいことではなくて、そうやってたくさんの人の人生の数コマが重なり合っているのが地球なんだよな、と。

そして、散々カタカナや漢字がみっしり詰まった技を考えておきながら(魔貫光殺砲まじかっけえ)、最終的に最強の大技が「元気玉」てアンタ…なん…ちょっ…!!!号泣


ああ、鳥山先生ありがとう。本当に長い間お疲れ様でした。

たった私1人でさえ、思わず文字に起こしてしまうほど、そして決して書ききることができないほど、感謝と敬意とその他もろもろのビッグラブを抱えている。

そして今、世界中で、鳥山先生への感謝や労い、惜別があふれていて、それこそもう本当、元気玉になりそうだよね。

鳥山先生とその作品を愛するすべての皆さんと、気持ちを共にしたいよ。

ああ、今夜はお酒でも飲もう。
会ったこともないけれど、私にとって本当に大切な人でした。これからも。

最大級の敬意と感謝を込めて。献杯。

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