浮世絵と着物
今日は、始まってからずっと見たいと思っていた浮世絵展へ行ってきた。
浮世絵は、どういうわけか昔から好きで、本格的に着物を好きになってからは一段と好きになった。
アートとしても好きなんだけど、着物の資料集的な目線で眺めるのもかなり楽しいのでね。
浮世絵関連の美術展に足を運ぶときは着物を着ていくのが、自分のなかで定番になりつつある。
というわけで、今日も着物で出かけた。
普段着物愛好家としては、気安さ桁違いの浴衣や夏の綿着物のシーズンが終わって名残惜しいけれども、私にはウールがある。
正絹のテロンとしたたおやかさとラグジュアリー感はとても魅力的だけど、どうやら私は、綿やウール、正絹でも紬といったカジュアル路線が着やすさを別にしても好みらしい。
あと、たぶんそっちの方が似合う。
ウールというと防寒着のイメージがあるけれど、ウール着物はたいてい単衣なのでインナー次第で結構調節が効いて使いやすいと思っているのは私だけだろうか?
というわけで、日差しが強くこの頃にしては暖かかったので、噓つき襦袢の袖なしにそのままウールを重ねた。
噓つき襦袢というのは、簡単に袖が付け替えられる上半身だけのなんちゃって長襦袢みたいなものなんだけど、私は袖を付けないで着ることも結構ある。
というと、びっくりされることもあるんだけど、感覚的にはタンクトップに長袖のシャツを羽織るみたいなものだろうか。
特に、夏の浴衣を着物風に着たい時なんかは袖が無いほうが涼しげだし、実際涼しくていいと思っている。
ま、フォーマルじゃなきゃラクなのがいいので、これは私にとっての正解ということで。
ただし、素肌にウールは、素材感や肌の強さによってはチクチクするので、そこらへんに関しては不快にならない方法を選ぶのがベストである。
帯は、もう最近はこればっかりってくらい、綿袋帯の引っ掛け結び。超ラク。簡単だし。
そして足元は履き慣れたブーツ。
着物にブーツの組み合わせが大好きすぎるので、足袋に草履は滅多に登場しない。
ちなみに夏は断然下駄が好き。なんなら洋服でも下駄を履くことすらある。
下駄も草履もそうだけど、鼻緒を中心にとにかく”足が痛くなる”イメージが強いと思うんだけど、履き方や歩き方をちゃんとそれ用に合わせると、なんとまあ履き心地のいいことよ。
さて、話も脱線に脱線を重ね、浮世絵はどこへやら。
肝心の浮世絵展は、平日ということもあって空いていて、かなりゆっくり見て回ることができた。
私は、しっかり鑑賞するようになってから知ったんだけど、ひと口に浮世絵と言っても、作者や時代、流行によって、色彩や構図、絵のタッチなどが結構違ってくる。
葛飾北斎とか歌川広重のような有名な人でさえ、時代によって作品の雰囲気が変わってくるからなかなか奥が深いなあとワクワクしてしまう。
(でも全然詳しくはない。面白いから好きなだけ。)
なにより、その時代ごとの人々の着物の柄や着こなしやなんとも美しくて、よく言われていることではあるんだけど、やっぱり世界大戦によって、日本の色彩感覚・美意識的なものは失われてしまったよなあと思わされてしまう。
今の日本も世界的には独特のセンスや美意識的なものはあると思うし、それが悪いとか劣っているとは決して思わないけど、過去の資料やアンティーク着物なんかをみると、「こんなに色柄が豊かで派手でユニークな服を着ていたのか…!」と感動すら覚えるんだよね。
そういう、感動を味わいたくて、私は浮世絵を見たい部分もあるのかもしれないな。
暮らしに感動があるって嬉しいことよね。
過去の資料を今に繋いでくれたたくさんの人たちの想いと努力に感謝と敬意を抱かずにはいられない1日。
とてもよい日だった。