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ルーツが同じ、知らないおじさま。

今日は祖母の四十九日法要のため、朝から夕方まで夫婦で出掛けた。

お寺、お墓、会食と移動も多く、冬は天候によってハードさが大きく左右されがちだけど、さすが祖母である。

生粋の晴れ女パワーは死後も効力があるのか、数日前まで雨か雪予報だったのに、今日はすこぶるぽかぽか陽気になった。

ちなみに昨日までも明日からも寒い。ピンポイントでいい天気にしてきた。ありがたや。

会食では、これまで聞いたこともなかった親戚たちの昔話や普段聞くことのない珍しい話などで盛り上がり、ゲラゲラ笑いながらの楽しい法要だった。
大人たちはもちろん、小学生の姪っ子までもが「すごく楽しかった」と言っていたから、本当に面白い話ってのは世代関係ないんだなあ~と感心するなど。

こういう昔ながらの冠婚葬祭も時代とともに次第になくなっていくのかもしれないな、なんて思いながら、それでも今経験出来ることは私の人生の記憶に留めておきたいと思った。

私の親は親戚付き合いをしているし、私も実家の近所に住んでいてたまに顔を合わせる人は数人だけ知っているけれど、それ以外は顔も名前も関係性もわからない。

同じ土地(家)に代々住むことが当たり前じゃなくなってきた頃から、もう地域や親戚との付き合い方に変化は起こり始めていたんだろう。

親でさえ「私たちの世代がいなくなれば、親戚付き合いもなくなると思う」と言っていた。

それはそれで時代の変化、として片付けられるかもしれない。
私にも「そんなこと言わず親戚付き合いはずっとしていこうよ!」と熱くなれるほどの思いもない。

ただ、確かにこの人たち、その先代、先々代がいたから、私の家族も私も生まれてきて、育ってこれたんだろうなという感覚を、今日集まったほとんど話したことがなかった親戚の方々のお話を聞くなかで痛烈に感じた。

家族は確かに家族として存在するけど、その家族のまわりにはもっとたくさんの人たちがいて、その大きな大きな営みのなかにある小さなグループが家族ってだけなんだな、という感じ。伝わるかしら。

その繋がりを感じられると、なんか、自分がものすごく望まれて、ものすごく大事にされてこの世にいるような不思議な自己肯定感みたいなものが沸々と湧いてきた。
不思議な感覚だった。

人との繋がりが感じられなくなると気を病んだり、自死に陥りやすくなるという話を聞くけれど、こういう感覚の逆方向に行くってことなんだろう。

他者との繋がりはいい面もあれば、なかなかに煩わしいこともあるけれど、その煩わしさこそが社会であり、人間であり、ある意味楽しさなのかもな。

初めて話す知らないおじさまが、自分とルーツを共にしてるって結構面白い。

あたらしい気持ちの発見に、まだまだ面白いことが起こるもんだなあ~と楽しくなった1日である。

今日の晩ごはん

  • キンパ弁当(冷凍)

  • 昨日の残り物(煮物、お魚など)

今日はお昼にたくさん食べたので、お腹も空かず、作る気も起こらず、冷蔵庫の残り物と買ってあったキンパのお弁当をチンして簡単ごはん。

キンパで、気持ち恵方巻、的な?

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