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幼稚園の先生に宗教の勧誘をされた日のこと

10年近く前のある日、実家に、幼稚園の頃の担任の先生から電話がかかってきたと連絡があった。卒園してから初めてのことである。
私はその先生が大好きだったし、懐かしさもあり、まずは素直に嬉しかった。

ところが親は、突然の理由もない電話に「ちょっと怪しいんじゃない?」「宗教の勧誘とかかもよ?」と怪しんだ。
私も「うん、そうかもね」と返したし、正直そうだろうなという気持ちはあった。

でも、何を隠そう私自身が”理由もなく懐かしくなったり会いたくなったりすると用もなく連絡しちゃう人”だったこともあり、まあ勧誘でもいいやと思いながら会うことに決めた。

最初に言っておくけれど、このような場合、
①宗教の勧誘の可能性があるということをあらかじめ覚悟しておく
②いつどこで会って、何時に帰るということを決めて、家族や友人に話しておく
③仮に勧誘や怪しい気配がした時に、確実に断れる・逃げられる方法をできるだけたくさん用意しておく
④当日は会えるのは何時まで、と面会時間を制限しておく
といった対策ができない限りは、会うことはおすすめしない。

まあ、そもそもそこまでして会おうとする人はそうそういないと思うけどね。ははは。

そんなこんなで、上記の対策をしたうえで会う約束をした。

場所は大きなショッピングビルの飲食フロアにある、個室や間仕切りなどがないカフェレストラン。
人の出入りが多く、人目に付く開けた場所で、何かあってもサッと退店できて、ビル自体に管理人や防犯カメラなどのセキュリティがあるという観点で選んだ。

別に犯罪者と会うわけじゃないのに大げさと感じるかもしれないけれど、例えば私がアプリとかで知り合った人と初めて直接会うというシーンを想定しても同じチョイスをすると思う。
絶対個室や隠れ家的な場所は選ばない。
そういうのは信頼関係が出来てからいくらでも行ける。

だから相手を疑うというよりも、誰に対しても初対面や理由のわからない面会におけるリスク回避の方法である。

念のため書いておくけれど、宗教自体は信仰も自由だし悪いものとは思っていない。
ただ、求めないものに入信を強いるような宗教や、信仰しないと不幸になるといった差別的なものは健全ではないという私の考えにおいて個人的な区別をしている。
今回は便宜上、単に宗教と記載する。

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というわけで結論から言うと先生の目的は案の定、宗教の勧誘だった。

しかも聞いたことのない宗派?で、いろいろと推しポイントや尊師の素晴らしさをプレゼンしてきたが、正直まともになんて聞いていないし覚えていない。

ただ、その本題に至るまでのプロローグ的な会話では、ごくごく自然に幼稚園の頃の思い出話をすることができた。
先生の記憶力はものすごく、何人もの生徒がいたはずなのに私のことも友人のこともそれはよく覚えていることに驚いた。

宗教の勧誘については最初から覚悟していたこともあり、あまり苦労することなく断って、話題がそのフェーズに入った時点でお会計の準備をして「あ、そろそろ行かなくちゃなんですいません」と退店を促し、会計が済んだから「次の予定があるので」とパッと解散した。

その後、何度も定期的に電話が来たけれど出ることはなく、あまりにも頻繁になったため着信拒否をした。
一抹の申し訳なさはあったけれど、ここは線引きしなきゃいけない。

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後から知るのだが、どうやら地元の人たちの間で先生が謎の宗教にハマり、あちこちに勧誘しては縁を切られているというのは有名だったらしい。
進学で地元を離れていた私はその情報を知らなかった。
先生がそのことを知っていたかはわからないけれど、向こうからしたらラッキーだったのかな。

とはいえ、結果的に勧誘が目的だったとしても、懐かしく話した思い出まですべて無くなるとは思わない。
先生が覚えている話を聞くのは面白かったし、一緒にそんなこともあったねと懐かしんだ時間も楽しかった。

だから、今でもあの時行ってよかったと思っている。

でも、終始背中を丸めて縮こまったような姿勢でおぼつかない足取りで歩く先生は、宗教について「これに出会えて幸せになれたんだよ!」「救われたの!」と力説していたけれど、とても幸せそうには見えなかった。

人の幸せを見た目だけで判断するのも愚かなことだとは思うけれど、先生の表情は常に切羽詰まった、鬼気迫るというもので、本当に先生は救われているのか、まだどこか暗い底にいるのではないかと思えるほどだった。

ただ、本当に人というのは不思議で面白いなと感じたのは、幼稚園の思い出話をしている時だけは表情がパッと明るくなり、目に光が入った時だ。
あの時は紛れもなく「幼稚園の先生」の時の顔になっていた。
なんだか、すごい瞬間を見た気がした。

あれから先生がどうなったのかは知らない。

でも、宗教にハマっていてもいなくてもどっちでもいいから、先生があの頃より少しでも明るい場所へ行けてたらいいな、と厚かましくも思う。

もう会うことはないけれど、私の中では今も先生は「優しくて大好きだった先生」のままにしておくからね。

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