ただのお節介な上に、さらに自己満か
たとえお互いが両思いだとしても「自分があなたのことが好き」という一方的な両思いの場合、それは自己愛のようなもんで、ただのお節介のようなものとも言えるかもしれません。
でも、愛情を注ぐという行為が「あなたのことを思って」という相手からの反応をちゃんと受け取れている状態で、それがもしお互いの両思いだとしたら、きっと最高なんでしょうね。
例えば、豆腐が欲しいと思って、豆腐がない時。さっと何かの帰りがけに買って来てくれるような。少なくとも、豆腐がないって言ってるのに、相手のハイテンションで不二家のケーキを買ってこられては、最初の頃は「あははー美味しいよね!」と、笑って言えそうですがいつかは困りそうです。( でも、そんな意外性が好きって時もありそうですが ) 多くの人は、そういう誰かへと「ありがとう」と言えることを求めているんだと思います。
それは仕事にも当てはまると思うんです。
「私にはこれができます。」ということが、実は誰も求めていないことに気づかなかったり「私はこれが苦手で・・・」というのでも、やってもらっているだけですっごく助かっていることもあったり。どちらの気づきにしても、相手のことをよく見ていないとわからないこと。それは自分を知っているよりも大切なことかもしれません。
もしかしたら、自分でコンプレックスだと思っていることを1番好きだと思っている相手もいるかもですし、「俺ってダメだな」と感じているそこが、魅力だったりもするかもしれませんよね。それは、相手にしかわからないなので、自分ばっかり見てみても、自分ばっかり完璧でいても、気づくことはできなそうですよね。
ランドリー・・・
どこか懐かしさを感じる、帰る場所としての「 写真 」「 道具たち 」を扱っております。