誰の為の子育て⁉︎
ボクは現在、
パートナーとその息子と
三人で暮らし、
子育てにも参加している。
以前は
当然子供と暮らすような事は
無かったが、
その間もずっと、
子育てに対しての考えを
書いてきた。
子供もいないくせに、
子供を育てた事もないくせに、
子育てを語るな!
という人が時々いる。
一聴すると正論にも思える
この主張だが、
ボクは間違っている
と思っている。
何故なら、
そう言う人の子育ての前提が、
子供の為ではなく、
自分の為になっているからだ。
「子育て」
というワード、
子供を育てるという文の主語は
確かに親だ。
その為、
子育ては親のものと
無意識に思っている人も
多いように感じる。
けれど、
「子育て」が
誰の為にあるのかを
考えた時、
その答えは
「子供」以外にない。
子供の健やかな
成長の為にするのが
子育てだろう。
子供がどうしてほしいのか?
どう接してほしいのか?
どう育ててほしいのか?
というのは、
主役である子供にしかわからない。
そして、
かつて誰かの子として
育てられた経験を持つ全ての人が、
子育てに対する思いを持っていて
おかしくない。
子供がどうしてほしいのかは、
親になった事がある人だろうが
無い人だろうが、
本当はわかっているはずである。
それ故、
子供がいるいないに関わらず、
全ての人に子育てを
論じる資格があると、
ボクは思っているのだ。
だからボクは、
子供を育てた事もないのに、
子育てについての発信を
これまでし続けてきた。
子供がどうしてほしいかを
考えようよ?
というと、
子供の望みをひたすら叶えていったら、
ただのわがままな人間に
なってしまうじゃないか!
という人もいるが、
別にボクは、
子供の望みを全て叶える
甘々な親になれ!
などとは一言も言っていない。
そうではなく、
人格を肯定し、
子供を信じて、
先回りしない方が、
子供の主体性が育ち、
生きる力の強い人になる可能性が高い
と言っているのだ。
自分はどうされたら嫌だった?
勝手な決めつけ?
押し付け?
理不尽?
否定?
様々あるだろう。
それをよく思い出すだけでも、
自分の為ではない、
子供の為の子育てができるように
なるかもしれない。