他者との境界線

人間は
肉体的には明確に、
自分と他者を
分けて考える事ができる。



ところが、
精神においては、
他者との境界が曖昧だ。



自分は自分、
他人は他人、
という考えの元に
全ての人が生きていければ
良いのだが、
現実はそうなってはいない。


セクハラ、
パワハラ、モラハラ、
「きめハラ」等々、
他人の気持ちを害する行為は
やめるべきと叫ばれて久しいが、

これらの行為は、
他人の、精神における
パーソナルスペースを
侵害するものだ。



心の境界を侵す人
というのは、
そこら中にいるものだが、
心の健康と無関係でもない。


心の健康を害してしまう
大きな要因の一つに
親子関係がある事は
以前にも書いた。


親が子の
心の領域を侵す行為を
恒常的にしている場合、
子はそれを自然に学び、
他人に対して無意識的に
行ってしまうようになる。


ボクは正に
ここに当てはまる。


つまり、
親が子の
意思や人格の尊重をせず、
考えや行動を押し付ける
という行為を繰り返し、
又は日々行なっていると、
子も他者に対して
同様の行為を行う可能性が
高くなるという事だ。


また、
親が自分の子に
そういった行為をしてしまう場合、
親自身がそのまた親に
そうされてきた可能性がある
という事も言える。


もし自分が、
子や他者に対して、
心の領域を侵すような行為を
してしまっている
という自覚が少しでも
あるのであれば、

それをやめる
という選択をする事もできる。


その結果、子が、
生きづらさを感じるような
生き方になってしまうのを
回避する事も
可能になるというわけだ。


子供にこう行動して欲しい、
あの人にこう考えて欲しいなどは、
他人に対する期待であり、
自分の願望でしかない。


しかし、
例えそれが我が子であろうとも、
他者の行動、思考を
コントロールする事は
できない。


肉体においても、
精神においても、
自分は自分、
他者は他者、
という事だ。


今日はこの辺で。


毎日死ぬ事しか考えられなかったボクが、
どのようにして立ち上がるきっかけを掴み取ったのかを描いた
コミックエッセイ『しんさいニート』/イースト・プレス

https://www.amazon.co.jp/しんさいニート-カトーコーキ/dp/4781614671/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=しんさいニート&qid=1583634815&s=books&sr=1-1

絶賛発売中です。





いいなと思ったら応援しよう!