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椎葉のソウルフード? ひえつきから感じる椎葉の人の生きる強さ

日本人の主食といえば、お米です。日本中の田んぼで毎年お米が作られ、毎日の食事でお米を食べることは、私たちにとって今や当たり前の習慣となっています。

そんな当たり前について考えを巡らせることがほとんどない暮らしの中で、椎葉への移住者である筆者は、実はそれがいかにありがたいことかに気付かされ、感謝の気持ちが湧いてきた体験がありました。それが「ひえつき」です。

ヒエの穂はこんな形。この一粒一粒が実(種)です。

民謡「ひえつき節」発祥の地といわれている椎葉村では、古くから焼畑をした土地でソバやヒエ、アワなどの雑穀を栽培してきました。それらの土地は、ほとんどが急な山の斜面です。平らな土地はほとんどなく、水を引くのも困難で田んぼを作ることが難しかったため、昔は椎葉のどの家でも焼畑をしてヒエやアワを作っていたと聞きます。

「いつもはヒエやアワを混ぜた飯で、真っ白な米が食えるのは運動会の日くらいだった。それが一年で一番の楽しみでね」

そんな思い出を語ってくれた方もいました。

焼畑から2年目の傾斜地に広がるヒエ・アワ畑

時代が移り変わると、椎葉でも山々に小さな棚田を拓いてお米を作るようになり、また物流が発達して食料が手軽に買えるようになりました。そんな時の流れと共に焼畑をする家が次第に減っていき、今ではヒエやアワを栽培する方はほんのわずかです。そんな希少価値もあってか、ヒエやアワの雑穀は今や「スーパーフード」とも呼ばれるようになりました。

こちらはアワ。見慣れないとヒエとの区別が難しいです。

さて、冒頭の体験の話に戻ります。

「ひえつき」とは、どんなものかご存知でしょうか。これは言葉の通り、ヒエをついて脱穀し、精白して食べられるようにすることです。このひえつきが、なんとも骨の折れる作業。昔ながらの手作業の流れを写真と共にご紹介します。

まず木づちで叩いて実を落とします。
釜で炒って乾燥させ、風味も香ばしくします。
石臼で引いて外側のモミ(殻)を砕いていきます。
唐箕(とうみ)に入れて風でモミを飛ばし、実をより分けます。
さらに踏み臼でモミ殻を砕きます。
ふるいで実を取り出します。

ヒエのモミ殻は何層にも重なっているので、このいくつもの工程を2〜3周ほど繰り返してやっと中の実が精白されていくのです。

一日中作業しても、手にできるヒエの量は本当にわずか。その成果物を両手ですくうと、こんなにも苦労してまでヒエを食料として栽培し続けてきたこの椎葉の地の険しさと、昔の人々の辛抱強さに思いを馳せずにはいられません。そしてその思いは、今この時代を生きることへの感謝にも変わるようでした。

時代は変わるけれど、これからも残したい、残すべきものが椎葉にはたくさんあります。

「ひえつき」もその一つ。それは椎葉の人の命をつないできた食べ物であり、生き抜いていく強い精神です。

執筆・中川薫(https://note.com/kaoru_nakagawa/

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