『はちどり』☆☆-少女への過剰な期待

 公開前から前評判が高く、ミニシアター系の作品であるにも関わらず、上映の範囲を拡大しているようである。確かに、舞台となった当時の韓国社会の様々な矛盾(特に女性に対する抑圧)を、丁寧に描いており、解釈や読み解きのためのフックが多い作品である。主人公の感情も繊細に描かれており、男女問わず、思春期の一場面として、共感できる部分も多いのではないだろうか。だが、あまりにも、主人公の少女に多くのものを託し過ぎたように思う。それがテーマ過多、エピソードの盛り過ぎにつながり、前半で紡いだはずの、思春期の少女の視点を、単なる作り手の一人称に変えてしまっている。
 

 本作では、主人公が、家族や学校など身の回りで起こる出来事の中に、違和感や矛盾を感じる段階から、社会で起こっている矛盾と、自分自身が日々感じているそれが、むすびついているのではないかと気づく段階まで、彼女の成長とともに、順を追って視野を拡大させていく。その際重要なのが、塾の先生であり、この先生が、外部の視点をもたらし、家族や学校以外の、第三の支柱として、彼女を支える。本作では、あくまで主人公の視点から周囲を見ているため、主人公の思考や行動の広がりと、物語の展開がリンクする点に、特徴がある。
 

 だが、そのため、周囲の登場人物の設定が見えづらくなっている。抑圧的に見える父や兄(男性)もまた抑圧されていることが、短い場面で語られるのだが、それでも、彼らが抱えている事情というのは、具体的に示されない。だから、登場人物が多い割に、主人公以外の登場人物たちが、主人公にとっての風景の一つになってしまい、群像劇にならない。結果的に、一人称であることを強く感じさせるため、単調になってしまっている部分がある。
 

 また、主人公が出会う問題が、男女差別、経済的格差だけでなく、同性愛や、立ち退き問題にみられる社会の軋轢まで、やや多すぎる。一応、彼女が生活している範囲で自然に出会うように配置されているのだが、中学生の標準的な視野に収まっているか疑問である。その結果、彼女は、とても頭の良い少女にしか見えず、序盤で英語をたどたどしく読んだり、塾で適当に授業を受けている姿と乖離するのである。
 

 加えて、終盤に起こる事件と、ある人の死は、ドラマを盛り過ぎである。家族の知り合いが死ぬ、という設定で止めることはできなかったのだろうか。痛ましい事故で、類似の事故ではもちろん規模が大きいものではあるが、何万人も亡くなる自然災害ではないから、そこに直接の、かつ数少ない心を許した人間が含まれている可能性は、それほど大きくないのではないか。ありえないことではないが、作品全体で、途中からリアリティの水準を置き去りにしたように思える。
 

 本作は、大人が少女に見せたいものを見せ、語らせたいことを語らせ、同時に、中学生の女の子としてのリアリティも失ってほしくない、と欲をかいた結果(高く評価する人はその試みが成功しているとみるのかもしれないが)、一番大事にすべき、主人公の少女の視点が消えてしまった点が最も残念である。


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