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#平和を憶う 広島市紹介 2021年

 今年も8月6日がやってきました、広島では平和記念式典が入場制限などの対策をした上で今年も行われました。一昨年までは僕も早朝から平和公園へ向かって黙祷をし、被爆建造物・樹木・橋を巡ったり、建物内で行われている展覧会を見て回ったり、たまたま通りかかったあの頃を知る方から話を聞かせていただいたり、灯篭に祈りを書いて流したりしていました。けれどこのご時世ということもあり昨年同様文献を読み、ネットで行われる映像視聴やオンライン灯篭流しなどしながら折り鶴と詩を作っていました。
オンライン灯篭流しは全国どこにいる方でもできますので是非、広島のどこかで思いが液晶に流れていきます。

 今年したことの一つとして広島のSNS「日刊わしら」の方で #平和を憶う という題名で被爆建物や展示されているものの紹介をしていました。こちらでも紹介させていただきます。ちなみに「憶う」という文字は思いやる、心にとどめて忘れない、思い出すと言った意味合いがあるそうです。


シャレオ中央広場
安田女子大学書道学科の学生さん
「ピースメッセージ」(書)

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 広島市の地下には紙屋町シャレオという地下街がある。広島の地形では三角州で難しいと言われていた地下にあり、原爆ドームや賑やかな八丁堀などにつながる道がある場所である。
 シャレオの中央広場に上にある安田女子大学の書道学科に通う学生さんが平和への思いの書かれた書とスクリーンには作品を生み出している彼女たちの真剣な眼差しを見ることができます。作品には一文字一文字に思いが詰まっています。
展示としては終戦記念日の8月15日まで行われていますのでもし広島におられる方がいらしたらじっくり見られてください。

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

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 平和公園内広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)から元安川のある東側にある原爆死没者の名前や顔写真、遺品などが展示されている記念館。
 記念館の文字が祈念になっている通り入り口から地下へ下っていくと静寂に包まれた被爆当時の写真と地名の書かれた壁の中心に噴水のある空間が広がります。そこを抜けると死没者の遺影がパネルに映し出され、名前から調べられるモニターがあります。
 今日まで開いていましたが明日から9月12日まで休館しています、入場料は無料ですが多くの文献資料や特別展が行われて、言葉以上に思うものを感じ取れる場所になっています。
現在展示は「わが命つきるとも-神父たちのヒロシマと復活への道-」
復興に多く尽力してくださった4人のイエズス会神父さんのインタビュー映像と展示が来年の2月末まで行われています。

旧日本銀行広島支店

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 市内を電車で巡っているとビルに溶け込むように被爆建物があります、それが旧日本銀行広島支店。
建築方式としては古典様式が用いられ、内側外装と細かい堀模様が美しいててものとなっています、建築好きの僕は通りかかると写真を撮りに通う場所の一つです。
 当時は二代目の日本銀行の建物として営業し、大蔵省広島財務局や現在の三井UFJ信託銀行が疎開して来ていました。
建物としては倒壊は免れ、3階は営業準備で窓を開けていて全焼、2階で火災や爆風の爪痕はありましたが今でも保存状態はとてもよく、爆風の痕跡や地下室に当時の写真や道具が展示され、あの日あの頃それからを知れる場所となっています。
 現在は芸術文化活動拠点として使われて、ヒロシマについての展示だけでなく現在工事中の広島現在美術館の展示やコンサートなど幅広い世代の文化発展に役立っています。

猿猴橋

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 広島に新幹線で観光に来られた方なら一度駅を降りられて広島駅、その南口近くに広島市が管理するもので最古の被爆橋があります。それが猿猴橋。
 木造として初めてかかったのが安土桃山時代。河童のような水陸両用の架空のいきものから名前が取られ、今でも少し怖い話があるほど。
現在のような鉄骨コンクリート桁橋になったのは大正になって西日本一の美しさと当時の人には言われていた。
被爆した時には1.82kmに位置する場所にあったため一部破損だけで落橋することはなく、現在の二葉の里(広島新幹線口付近の住宅街)近くにあった東練兵場が救護所になっていたためその避難経路になっていた。その頃には橋のたもとに警官が立って市中心の被爆地への立ち入りを禁じていた。

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 現在は金属類回収令もなくなり親柱には石飾りから地球儀に乗ってはばたく大きな鷹の像が置かれ、欄干には匹の猿が桃を掲げている飾りが飾られています。

  今年はこの4つの場所について僕が知りえる限りの情報を書いていました、本文を読みたい方は下のURLからご覧ください。

素敵な企画 #おうちで8月6日

 日刊わしらの方では #おうちで8月6日 という企画をしております。広島の有名なイラストレーターさとうもぐもさんとのコラボ企画で10種類の折り紙をセブンイレブンネットプリントから印刷して折り鶴を折ったり、8月6日の過ごし方、今までの戦争体験を聞いたり体験した話、おもっていることをタグをつけて広島のSNS「日刊わしら」で投稿しようという企画です。折り鶴の写真は8月9日の長崎原爆の日までとなっていますので、興味のあられる方はぜひサイトを覗くところから。さとうもぐもさんのイラスト折り紙もとてもかわいらしいので見てください。

最後に僕の話

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 最後に僕の話。僕の本を見たことがある方はプロフィールを見て広島出身であることを今回の記事でも理解していただけたと思います、改めて僕は被爆3世の話すことが苦手な自称(話さないので語り部より)書き部です。小さいころは平和公園を走り回って平和学習を熱心に取り組んで祖母は幼かったため家族から聞かされた8月6日のことや闇市のことを聞かせてくださったり、被爆建築物をめぐって写真を撮っているときに話しかけてくださった人から話していただいたことを頭の中でまとめてノンフィクションとフィクションの狭間の詩を書いてnoteやTwitter、日刊わしらに掲載している人です。
ヒロシマのことは言葉にできますが長崎や沖縄、多くの空襲のあった場所のことは勉強不足でこの日だけはヒロシマにまつわる詩を多く書いています。今後書いて行けるほど知って行けたならば、言葉にしていきたいです。
 それまではまた来年あの日から77年後の8月6日8時15分で書いていきましょう、平和を憶って。


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