「嫌い」ではなく「合わない」でいいんじゃないか
「嫌い」という言葉の怖いところ。
それは「自分はこれが嫌いなんだ」と思ってしまうことなんじゃないかと思います。、
人間、すぐに考え方を変えることはなかなか難しい。
一度「嫌い」と思ってしまったものに対しては、どれだけいいことを聞いたり魅力的なところを見たりしても、「でも嫌いだし」でシャットアウトしてしまうことも少なくない。
「嫌い」という言葉には、有無を言わさず相手を跳ね除けるような、そんな強い印象が込められているように感じます。
そしてそんなことが増えてくると、いろんな物事が本来持っている魅力や素晴らしさに目を向けることなく、自分の好きなものしか受け付けない狭い世界で過ごすようになってしまう。
まぁそれが一概に悪いとは言わないけど、個人的にはそれはもったいないなぁと思うし、なるべくそうならずに生きていたいと思う。
かといって何もかもを愛するような聖人になるつもりもなくて。
そもそも嫌いの反対は好きではないし。
「好きの反対は無関心」なんてよく言うけど、なら「嫌いの反対は興味がある」なんじゃないかな。
僕はいろんなものに興味を持てるようにしておきたい。
とはいえ僕たちも人間なので、どうしても受け入れられないものもあるかもしれない。
それに関しては「嫌い」ではなく、「苦手」「自分には合わない」「好きじゃない」でいいと思う。
相手が人間だったとしたら
「その人にも素晴らしいところや魅力的なところはあるだろう。でも自分はちょっと苦手だ」
という感じ。
要はそれ自体が持っている長所は認めつつ、ただ自分には合わない、というスタンスで。
嫌いでも合わないでも似たようなもんじゃないか、という人もいるだろう。
ただ僕の中では「嫌い」は拒絶のイメージが強く、どうもあまり積極的に使いたい言葉ではないなと。
言ってみればこれも「自分には合わない」ということですかね。
言葉ひとつ取っても印象はずいぶん変わってくるもの。
なるべくネガティブな言葉は使わず、自分が苦手なものであってもそれ自体の魅力や長所は受け入れられるようになりたいな。
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