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生きているから揺れる
手探りしていた言葉の感触も、試行の反復で過程を愉しんだ色彩も、忘れたと思うほどの距離が、空いたのしょうか。まぁ、確かなものを持っていたわけでもないんじゃない、とも思い直す。
ただ、焦燥だけを募らせた。渇いていないことに、不安になった。
音楽を意思疎通の道具に使うこと、その優先度を低くできてよかった、とは思う。自分のためだけでいい、気楽さを手放さずにいられる。
音は直接的に身体に触れるものだから、好きかどうかを感じるのも直接的。損得も、優劣も余計なものにしてもいい。歌詞がいいとか、メロディがいいとか、無関係でもいい。
屋根を叩く雨粒と、遠い雷鳴の響きに耳を傾ける時、揺り動かされるのは思い出みたいな自分に降り積もった雪。再生ボタンを流して流れ出したその曲に積まれているのは、人の意思と時間だ、という点は文学と共通だと思い込んでいる。