そのまんま 11.18 午後
構成も何にも考えずに、今思っていることをただ綴る。そのまんま。
単なる興味でお風呂に入っている時間を測っている
ラップ1はお風呂の時間。ラップ2はそこからドライヤーをして髪が乾くまでの時間。
「時間がとにかくないから、お風呂速く入ろう」とかではなく、純粋におふろRTAしたらどうなるんだろうという興味。人間はどれだけ正確にかつ速くお風呂入れるんだろうっていう興味。
昔から「時間を測りたくなる欲」がふとした瞬間にくる。家から学校まで近いとか遠いとか言うけど、じゃあ時間的にどのくらいかかっているんだろう…みたいな思考回路。
本当にせっかちとかじゃなくて、効率化が好きなのかもしれない。次どの動作なくしたら速くなるんだろうとかをよく考える。速くしたいんじゃなくて、なんかこう速くしようと思う感情が好きみたいな。別に遅くていいんだけど。ゲームみたいな感じ。たのしい。
予想以上に長かったり、短かったりする。それもおもしろい。自分の体感時間と実際の動作にかかる時間があっていない。このずれを考察する瞬間はとても趣がある。
今日の小論文指導はどっこい
過去問を解いてひたすら慣れる時間。どうやら私には知見は広く、ある程度まで深いが、「自分の考え」がある程度固まっているため、いざ本番で解いたその瞬間においての柔軟性がないらしい。頑固者。
文章の流れに沿って、出題者が欲しい回答の流れを書かないといけない。せっかく評論を読んだ後に問題を解くようになっているのに、その評論をまったく活かせていない。
自分の意見がどれだけ根拠があって、前例があっても採点者によっては「ユニークさ」が裏目に出ることもあるらしい。あれ、考えてほしい方向性はこうじゃないんだけどな。みたいな。
すごく言葉を包まずに言えば「空気を読め」ということか。自分の意見を述べなさいと言われているのに、空気を読むってどういうこっちゃ。
でも「わからない」から、評論に書いてあることを避けるのかもしれない。わかっているけど書かずに自分の意見を書くのと、わからないから自分の意見を書くのでは大きく違う。
空気を読むではなく、評論から得た新しい情報を存分に活かす。得た知識をその場で臨機応変に活かす。こういうとらえ方が大切。
生物多様性や街づくり、地球温暖化やコンパクトシティ、ニュータウンや岡山の現状。どれも理解が表面的なものになっていないか?
まだ未熟すぎる。
テレビがこわくなった
最近はテレビが怖い。というか情報の力って想像以上に大きいことを人間は知らない。私は実際にその人の声を聞くまで、事実を信じない。頑固者なんだろう。でもその人が「言わされている声」なら、何を信じればいいのだろうか。
何を基準に「信じる」と決めるのだろうか。
投票の楽しさや初めての選挙にいった話をしたが、某選挙では今回若者の投票率が上がり、その影響が当選結果に大きく影響した。要因はそれだけではないだろうが。
テレビでは「SNSの悪影響」「SNSの情報は嘘もありますが…」「この人が当選してしまうなんて民主主義はもう終わりだ」。
どうして「投票に行け」と言って、投票に行ったら行ったで自分の票があたかも「間違い」のように言われなくてはならないのだろうか。「こんな人に票が集まって当選するなんて」。どうしてそんなことを声にできるのか。
間違いなんて誰が決めるのだろうか。そんな基準、他人の主観でしかないのに。
どうしてテレビ自身は自分の情報の不確かさを疑わないのだろうか。SNSのことは疑うのに。何ていえばいいのだろう。どうしてそこまで盲目的に自分たちが正しいと、思えるのだろうか。本当にその心理が純粋に気になる。
どうしてそんなに他人のことを簡単に、しかもメディアで言えてしまうのだろうか。テレビがこわくなった。
小さい頃、テレビはこんなにも傷つけあう場所じゃなかった気がするのにな。最近はテレビを見ないようにしている。こわいから。
テレビじゃなくて、自分が変わってしまったのだろうか。疑問ばかり。
この話題は一生語れるのでこれくらいで止めます。
昨日見た夢
昨日は吹奏の夢を見た。クラリネット落としました。嫌です。
悪い思い出ばかりだけど、本当は良い思い出もあったのかもしれない。悪い思い出は意外と少ないのかもしれない。人間はマイナス部分が大きく見えやすい。そういう心理。
思い出は過去でしかない。これからのいい思い出は今の自分が作る。