そのまんま 11.17 午後
構成を気にしない、今思っていることを息するように吐きだしていく。そのまんま。
最近たくさん本を読んでいる
本を読むことが元から好きだったのもあるが、建築への深い理解…深くなくても面接で教授と語り合えるくらいの知識量を得るため、二か月ほど前から色んな建築に関する本を読んでいる。
建築と環境、たまに文章の書き方や話し方の本を読んでいる。noteに書くのは、著作権とかもありいろいろと怖いので書いていない。自分の紙のノートにメモしている。
本なんて読まなくても生きていける。だけどこんなにも本に溢れている世界で、こんなにも知らないままで死ねない。本の広すぎる世界を知ってしまったから、後に引けない。
だいたい図書館で本を借りて読んでいるのだが、よく思う。今自分が読んでいる本は、どれだけの人間に読まれているんだろう。私は何人目なんだろう。どれだけたくさんの人の人生を、少しだけ変えてきたのだろう。
図書館の本は歴史を、時間を感じるので好きだ。
最近の本は、後ろの貸し出しカードに名前を書く制度がないのでさみしく思う。自分の名前を刻むことは、ないのか。「誰これ」ってなるのがまた面白かったのだが。
この本の時間に自分の名前を遺すことは、もうできないんだな。
不協和音を聴きたくなって
一時期いよわさんの曲をたくさん聴いていた。あの不協和音とは言い切れないけど、ピアノではぴったり再現できない曖昧な音が好きだった。「だった」というが今でも好きである。今、こうやっていよわさんの曲を聞きながらこれを書いている。
これが今流れています。コード予想を裏切る音がよい。私の知識がないだけかもしれないが。なんていうのか、どの作品も先が見えないから面白い。
正解がパッと見わからない音が好きなのかもしれない。ぱっと見はおかしいのか。ぱっと聴き。これは音がわかってしまうからこその悩みなのかもしれない。ピアノで弾いても同じ音はでない。似たような音が出るだけ。
つぶやきシリーズのテーマに一生困らない話
テーマに困ることは今まで一度もない。下書きがたくさんある….のも理由だが、そもそも「つぶやき」と「そのまんま」、「災害」シリーズは普段私が頭の中で疑問に思ったり一人で討論したりと、「頭の中そのまままとめたシリーズ」なので、話題が尽きるとかいう概念は存在しない。
とある大切な人の癖がうつったのか、疑問に思ったらすぐに調べる癖がついたので、それをそのままnoteに書いているだけである。
だからか、一年は長く感じる。ともいかない。「一年だわ」とかいう感覚がないので、感じることがない。ただ一日一日、今日を生き続けているだけ。
弊害として、記念日には疎い。まあ両者ともに疎いのでいいか。これには別の理由があるが、それを解決しようとしない時点で疎いんだろう。
もう二週間?????
推薦本番まで、二週間。やれることをやるだけ。なんか今の小論文の甘さでは勝てない。でもやるしかない。