つぶやき ~社会的背景に詳しくなろうの回~
ふと、目にした文章や事象をただ反芻している。そんなつぶやき。
前回のつぶやきはこちら。
小論文のグラフ問題は社会的背景の理解が重要
私が受ける推薦の小論文には大問1に「グラフ問題」が出題される傾向が高いです。また大問1の(2)は「社会的な背景を元にグラフから読み取れることを述べよ」がよく出ます。
社会的な背景に弱すぎる自分を変えるため、このnoteをきっかけに詳しくなろうと思います。何か他にも視点がありましたら、ぜひコメントで議論したいです。よろしくお願いいたします。
第一次ベビーブーム 1947年から1949年
この3年間は出生数が毎年250万人を超えており、合計すると約800万人の出生数となります。戦後の統計において、1949年の出生数269万6638人は過去最多であり、2019年の出生数とくらべて約3.1倍もあります。
太平洋戦争が終結し、結婚や出産が相次いだことが原因とされています。その世代がやがて、1971年から1974年の第二次ベビーブームを引き起こすことになります。
この世代は「団塊の世代」と呼ばれており、由来は小説『団塊の世代』(堺屋太一著)です。人口が多い世代が高齢化したとき、将来起こり得る問題を予想する小説として書かれました。
実際に、「2025年問題」というものが考えられています。過去に自分がまとめている記事がありますので、詳しくはこちら。
簡単に言うと、第二次ベビーブームの人が2025年で後期高齢者となります。それにより、社会保障費の負担の増大、介護の人手不足や介護難民増加などの問題が発生すると予想されています。
出生率の大きな年較差には、課題が山程あるのです。一気に増えたからといって、良いことばかりではないのです。
第一次石油危機 1973年
1973年10月に起きた第四次中東戦争をきっかけに、中東産油諸国(サウジアラビアやイラク、イランなど)の原油生産削減と、一部非友好国への禁輸措置が起こりました。
またこれを背景とし、原油輸出禁止の前日にはOPECが原油価格の引き下げを宣言しました。この一連の動きによって、安価な中東原油に依存していた先進工業諸国(アメリカ、ヨーロッパ、日本など)は大きな経済的打撃を受けることになったのです。
特に日本は石油の99%を海外から輸入していました。またその8割を中東に依存していたため、より影響を受けました。ちょうど当時の日本では景気が過熱状態でインフレが進行中でした。そこに原油価格高騰が直撃し、物価上昇を招きました。
第一次石油危機による影響
第一に物価の上昇が挙げられます。総務省のデータによると、第一次石油危機前では、前年比が4.9%であった消費者物価指数は、1973年は11.7%、1974年には23.2%まで急増しています。
急激なインフレは経済活動にブレーキをかけることになります。経済成長率は1973年から1974年まで、一気に落ち込んでいます。
第二に消費者の行動の変化が挙げられます。1973年10月ごろに通産大臣がテレビで「紙の節約」を呼びかけたことから、「紙がなくなる」という噂が全国に広まりました。そこからトイレットペーパーの買い占めが起きました。
これをきっかけに店頭から洗剤や砂糖、塩、醤油の買い占めも起きたそうです。政府は買い占め自粛を呼びかけ、特定物資にトイレットペーパーを含む紙類4品目を指定しました。標準価格を定め、施策の効果があったのか3月にやっと騒動は収束しました。
人間の集団行動心理は恐ろしいです。
第二次石油危機 1978年
第一次石油危機から回復傾向にあったが、約5年後に再び石油危機に襲われました。
1978年10月の石油産業労働者によるストライキがきっかけで起こったイランの政変により、同国の原油生産と輸出が大幅に減少した。これにより世界の石油需給に深刻な影響を与えました。
また同年の11月、テヘランの米国大使館占拠に伴う対米原油輸出停止と、これに対抗したイランへの経済制裁によって原油生産は一層減少しました。
第二次石油危機による影響
第二次石油危機やイラン・イラク戦争の間に、サウジアラビアやメキシコなどの国が石油を増産しました。また第一次石油危機をきっかけに石油の消費削減や、景気下降、石炭等への転換により石油需要が比較的減少していました。
それにより、混乱は軽く済んだそうです。
バブル経済から崩壊まで 1980年代後半〜1990年代初頭
そもそもバブル経済とは、投資や消費の過熱で不動産や株式の価格が急激に高騰し、その速さが実際の経済成長を大きく上回る経済状態をいいます。
バブル経済の大きな原因として挙げられるのが、1985年のプラザ合意後に日本銀行が行った金利の引き下げです。
これによって急激な円高への対策として、日本銀行は金利を引き下げ、企業や個人はより安く資金を借りることができるようになりました。
(金利とは、借りた金額に対してどれくらいの割合で利子が発生するかを表すもの。)
またこれによって不動産や株式市場への投資が促進され、資産価格が急上昇しました。
さらにもう一つ、バブル経済を引き起こした原因として、政府の規制緩和も挙げられます。金融機関が不動産を担保とした融資を増やし、どんどん不動産価格が上昇していきます。
株式では企業の業績とは無関係に株価が上昇します。「今とりあえずなんでもいいから買っとけ!」みたいな感じですかね。その一部経済の加速が、実体経済の成長を大きく上回ってしましました。
その後どのように崩壊していった?
このままだと経済成長を上回って、不動産や株式がどんどん高騰していってしまう…日本銀行は過熱を冷ます目的で、1989年から段階的に金利を引き上げます。
当然、前よりも利息が上がるため、人々は不動産や株式への投資を見直します。そして、過剰な価格上昇や投機的な行動は持続不可能ではないかと不安が広がっていきます。
それにより起こったのが、資産の売却です。その後は長期に渡る経済停滞期に入っていきます。
崩壊による影響として「株価の急激な下落」があります。急激な下落は企業の資産価値を急激に減少させ、資金調達に深刻な影響を及ぼします。
多額の不良債権を抱えることになった金融機関は経営危機に瀕しました。倒産も相次ぎ、失業率も上昇しました。
また急激な円高により、国外における日本製品の価格競争力を低下させ、日本の輸出企業に大きな打撃を与えました。消費者は先の見えない将来に不安を抱き、貯金や消費を抑えようとします。
たくさんの要因が絡みに絡まって、短期間では立て直すことができませんでした。後に「失われた30年」と呼ばれるようになります。
またもや人の心理はこわい。
リーマンショック 2008年
2008年9月に米国の大手投資銀行「リーマン」が破綻し、世界的に経済が大混乱に陥ってしまいました。どのような流れで起きたのか簡単にまとめます。
証券化とは、住宅ローンなどをまとめて会社に売却し、それを担保に会社が投資商品を発行することです。
サブプライム住宅ローンは信用力が劣る人へのローンであり、延滞率が景気変動で上昇することが予測されていました。延滞率の上昇により、プロの投資家は証券化商品の売却を始めました。
プロの投資家が売り手に回ると、証券化商品の買取価格が安定せず不透明になっていき、価格の下落に向かっていきました。
リーマンショックの影響
リーマンショックの前は、アメリカを中心とする金融不安、景気の減速、原油価格等の高騰から景気は弱まっていました。リーマンショック後は、世界的な金融不安が金融危機へと発展し、日本も急速な悪化をたどりました。
また、日本における海外需要の減少、結果としてGDPの減少が主要先進国(G7)の中で最大でした。
またまた、同時期の2008年にイラン・イラク情勢の流動化や石油資源の在庫不安によって(?)ガソリンの高騰などが重なり、日本は経済的に大変な状況になりました。
2008年のガソリン高騰の理由は調べてもあまり核心的なことは出てこなく、よくわからないままもやもやしています。
リーマンショックに関してはまだまだ理解が浅いです。
環境問題の歴史
18世紀に産業革命が起こり、化石燃料などの使用によって二酸化炭素の自然な循環に、過去の二酸化炭素が加えられるようになりました。
化石燃料に限らず、森林資源などを大量に消費し、大量廃棄が相次ぎました。その結果、地球規模の環境破壊が問題となってきました。
1962年にレイチェル・カーソンによる「沈黙の春」という本が執筆されました。数奇塩素系殺虫剤や農薬などの化学物質による環境汚染について、科学的な調査を元に世界で初めて「環境問題」について取り上げられた本と言われています。
この本をきっかけに環境問題への危機感が広がり始めました。
1972年には、環境問題に関する初の国際会議である国際人間環境会議が開催されました。Only One Earth(かげがえのない地球)がスローガンとして有名です。
1992年、リオサミットにて「リオ宣言」と「気候変動枠組み条約」の採択がされました。
リオ宣言の目的は「大気中の温室効果ガス濃度の安定化」です。またアジェンダ21という持続可能な開発のための目標と行動計画が示されました。
1997年には、京都議定書が制定され、初めて温室効果ガスの削減行動が義務化されました。
2000年は、英国の慈善団体が管理する非政府組織であり、投資家や企業、国家、地域、都市が自らの環境影響を管理するための情報開示システム「CDP」を発足しました。
また同時期にMDGsが採択されました。開発分野の国際社会の共通目標として、2015年までに解決するよう立ち上げられました。
2006年には、PRIが発足。投資家の投資に向けた意思決定プロセスや株式の保有方針の決定に、投資先企業の財務状況に加えて環境・社会・企業統治を反映させるための考え方を示しました。
2014年には、2050年までに再生可能エネルギー100%を目指すRE100が発足。
2015年には、2030年までに持続可能な世界を目指す世界目標としてSDGsが採択されました。
同時期には「世界の平均気温上昇を産業革命以前にくらべて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力をする」というパリ協定が採択されました。
またまた同時期にはパリ協定の削減水準に基づく削減目標の設定の推進に向けてSBTが発足されました。
2017年に、企業の気候変動による財務的影響の開示を求め、シナリオの分析導入を推進するTCFDが始まりました。
個人的には1997年の京都議定書らへんから、企業への義務化など実際に人の行動を具体的に示し始めたため、国民のエコ意識が芽生え始めるきっかけにもなったのかなと思います。
日本の少子高齢化はいつから問題に?
この日本の少子高齢化による問題は、別のつぶやきにまとめようと思います。長くなりそう。間に合うとよいのですが。
いちばん大切なのは
ある程度の知識も必要ですが、そのグラフを先入観なく素直に読み取れるかが大切です。
何でもかんでも少子高齢化に絡めたり、この年にこれがおきたからこれだ…のような断定的な思考ではなく、柔軟に「グラフは何を伝えたいのか」を読むことができるように心がけます。
参考文献はこちら
https://eneken.ieej.or.jp/press/teireiken/press071219k.pdf