親らしく、が出来ない私は親失格?
こんばんは。しのちかです
厳しい残暑もやっと和らぎ、服も気持ちもすっかり秋模様
秋生まれなので
これからの季節は私のやる気が漲る。
ということで
最近の休日は息子を連れ、あちこちお出掛けをしています
友人とご飯に行ったり音楽祭やマルシェにお邪魔したり
あー楽しかったねー!
と、夜寝る前に息子とするおしゃべりタイムが
なによりの癒しになっています
とはいえ、ずっと一緒に居るのもお互いしんどい!ので
この休日は息子を保育園に預けたあと
久々に本を買ってカフェへ
まだまだ息子は 母に甘えたいお年頃
何かあればすぐに「かーちゃーん!!」と呼ぶので
家で本を読もうとしたら3ページも持ちません
なんの話だったかすぐ忘れちゃう
時間に追われることなく
好きなことだけしてのんびりできる時間って
自分と向き合うこともできるし
なにより、24時間年中無休の母業を
少しでも休められる大事な時間
でもときどき、胸がチクっとするのは
過去に言われた言葉が原因なのかもしれません
その出来事は息子が2歳半くらいのとき。
その日も息子を保育園に預け
馴染みの喫茶店でお茶をしていたときでした
カウンター席に座り店主と他愛もない話をしていると
2つ隣に座っていたマダムが私たちの会話を聞き
「あらあなた、お子さんがいるの?」
と声を掛けてくださいました
そうですよ、やんちゃだけど可愛い男の子で〜なんて
笑顔を向けた途端、
「いいわねぇ子どもを預けてお茶できるなんて」
「今どきの親って自分のしたいことを優先するわよね」
と、言い放ったのです
予想しなかった言葉に呆然としていると
マダムは、私の頃はね、と続けようとして
慌てた店主が「ずっと子どもといるのは大変ですよ」と遮ってくれたので
この話は幕切れとなったのですが
その言葉は当時の私にグサっと刺さったのです
遠く北海道から出てきて
親も友人も居ない、頼れるのは夫だけなのに
肝心の夫も 仕事で家を留守にすることが多く
見知らぬ土地で育児と仕事を始めた頃
北海道ではカフェ巡りが好きで
人とおしゃべりするのがなによりも活力だったのに
過酷なイヤイヤ期であたたかいコーヒーも飲めず、
人と話さない・会えない環境で
着々と産後うつになりかけていた頃
仕事の帰りに偶然見つけた喫茶店で
店主が目の前で淹れてくれるあたたかなコーヒー
カウンター越しにおしゃべりして
お客さんたちとも交流ができて
私の社交場が増えた気がしてとても嬉しかったのに
その一言で急に罪悪感が湧き
子どもに尽くせない、
ひとりの時間が欲しいと願う私は
親失格なのかも…
と、かなり塞ぎ込んでしまいました
きっとマダムに悪意は無かったと思う。
彼女が育児をされてた当時の時代を鑑みると
子どもを預けて自分のしたいことを、自分のお金でできることが
羨ましかったのかもしれない
でもそれ、今言わなくても良くない〜〜〜???
と思うわけです
(しかも見ず知らずなのに)
とはいえ、
"親であること"
の正解はなんなのか、これって生涯ついてくる悩みだと思う
しつけ、教育、衣食住、娯楽…
教えられるものは惜しみなく与えたいのは当たり前
事故や怪我から守ってあげたいのも当たり前
幸せになってほしいからこそ、
先回りしてあーだこーだと口を出し手を出し
あなたのためを思って、と押し付けがましくなってしまうけど
それもきっと "親である"からこそ
でも、与え続けるためには
こちら側にも"心の蓄え"が無いと成り立たないのです
息子はあくまで、一緒に生きていく仲間、なだけで
私の人生ではありません
彼は彼の人生で、いつか新たな社会へと旅立ちます
私がいま出来ることは、
人生の楽しみ方を教えること。
なかなか寝付けない夜の過ごし方、
台風で停電した朝にアイスを広げて
パーティーを楽しんだり
好きなことに夢中になる時間、
友人に囲まれ、がはは、と笑う姿。
親が楽しむ姿勢を見せなかったら
子どもはなにを手本にしていいかわからないはず。
自分らしくいられる場所、時間。
それはどんな立場になっても、幾つになっても
大事にしたい
おまけ↓