誰が石橋を叩いて渡るか
かつて、石橋を叩いて渡ることを、保守的とかビビりの代名詞のように言われたことがあった気がする。
今はみんな叩いてる。叩いて渡ることがかっこ悪い世の中じゃなくなったと言った方がいいだろう。
でも、この「石橋を叩いて渡る」という言葉の頭に「自分が」をつけられるかどうかでだいぶ差があると思う。
みんなそれぞれに不安。でも不安なりにジタバタしてとにかく向こう岸に渡ろうとする人がいる一方、それを見て嘲笑してるだけの人もいるような。
どんな形であれ「自分で」石橋を渡ろうとした人が向こう岸に行ける世の中にしたい。抽象的な話ではなく具体的な方法として。
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