なるほど。わかりやすいです。
ある方に勧められ「紋切型社会〜言葉で固まる現代を解きほぐす〜」という本を読んだ。世の中の色んなことを色んな角度から考察した批評本である。その本のコラムの一つに『なるほど。わかりやすいです。〜認め合う「ほぼ日」的言葉遣い〜』というものがあった。ほぼ日的な対談のあり方について書かれたものだ。
「AはBだ」「CはBだ」という会話のやりとりの中、「A→B」「C→B」の“→”の部分=対話者同士ですら気づいてなかった、全体を通して流れていた論理や思考を紐解くことに、読み手や聞き手側の醍醐味があるが、承認が約束された者同士の会話では、「なるほど。わかりやすいです。」と肌触りの良さが優先され、会話の躍動感が失われている。わかりやすさのために急がれる承認って貧相だと思う。みたいなことが書いてある。
なるほど。わかりやすいです。そう思ってしまった。
とはいえ、世の対談の目的がそもそも何なのかよく分からないけれど、ほぼ日のそれは、それで良いのではないだろうか。ほぼ日の対談、いわゆる読み物と呼ばれるものは、ものにもよるけれど、広告的要素が極めて強いし、ある種の思想や価値観への共感を前提としている。それが、最終的には色々な商品への購入へと繋がる。読者やファンが求めるのは読み物の心地良さだし、それらを読んで商品や会社の根っこにある「なんか世の中のためになりそうな感じ」や「小さな力に加担する感じ」を再確認する。同調圧力なんか無いように見えてあるし、ある意味排他的でもある。だから、ほぼ日の対談は、「なるほど。わかりやすいです。」でなければならないのだろう。
そんな、ほぼ日の対談でも、「なるほど。わかりやすいです。」で整理できないものもあった。CCCが代官山にT-SITEをオープンする前、社長の増田宗昭氏が糸井さんを訪ねた時のものだ。
なるほど。ドキドキします。
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