余捨て人(よすてびと)

一昨日は新人異動者のディレクターに混じり『プランニング研修』に参加。目下、人生のプランニングを修正する必要性に迫られている今の僕にはいろんな意味で必要な研修である。たぶん。

研修では3C分析などのプランニング手法や広告のセオリーについて触れたあとに講師の仕事紹介があって、特に印象に残ったのが企業ブランディングの仕事だった。企業の中にいる人が気づいていない魅力を言葉にしながら、5年後、10年後も普遍的であろうメッセージに集約していく。散らかっている点の魅力を集めて線にしていくようなそんな言葉。この指とまれ。

世の中の人たちはその言葉に共感する。その企業で働く人たちは、その言葉に誇りを感じ背筋が伸びるような感覚になる。そして、判断や行動の迷いが徐々に削ぎ落とされていく。

これらの過程で第三者としての広告マンが果たす役割にはいろいろあるけれど、クライアントにメッセージを『絞ってもらう』という部分が極めて重要である。何かを選ぶというのは同時に何かを捨てているわけで。

そしてこれがお互いなかなかに難しいことでもある。優柔不断な人は結局欲張りだったりリスクをおそれたりで、あれもこれも言おうとする。強い人に往々にして迷いがないように見えるのは、きっと捨てることがうまいから。すなわち、強い人は余捨て人(余分な部分を見極めてちゃんと捨てられる人)である。そして、良い広告マンとは余捨てさせ人である。

漫画ワンピースの主人公ルフィは、「海賊王に俺はなる!」とよく言う。彼はこの宣言によって『不動産王になる可能性』も『石油王になる可能性』も対外的に一旦捨てている。ちなみにルフィが考える海賊王の定義は『この世界で一番自由な人』らしい。たしか。

ということで僕は世の中的な連休を捨てる。ただ、余捨て人というのはあくまでも結果であってそのプロセスに決断力というものがある。自由ってことは、強いってことは、何も考えなくていいことじゃないのだなあ。

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