奇岩を好む文人画
2024年10月某日
「物、ものを呼ぶーー伴大納言屏風から若沖まで」を見に出光美術館に行く その3
第一展示室の最後に展示されている抱一のふたつの十二ヵ月花鳥図に別れを告げると、そこは第二展示室。室町時代の屏風絵が広がります。さらに、第二展示室の中程まで進んで折り返すと、二人の文人画家の、どちらも大きい六曲一双屏風が並んで展示されているのです。
11 山水図屏風 与謝蕪村 1763年 六曲一双 出光美術館
12 十二ヵ月離合山水図屏風 池大雅 1769年頃 六曲一双 出光美術館
(ともに、出光美術館の収蔵品の紹介、文人画で見ることが出来ます(投稿日時点))
蕪村(1716-1784)の「山水図屏風」は、のどかな空気感の広がる作品です。右の屏風の右から2/3あたりまで、徐々に後景に退きながら切り立った断崖の山が描かれ、左の屏風の中央あたりから、やはり同様の山が描かれます。その間、すなわちふたつの屏風を並べて見たとき中央に当たる部分には広々とした湖があって、壮大な山が囲うなか、視線は中央奥へと導かれます。このことが、湖の広がりをより強調しているのではないかと思います。大きな自然に抱かれて、広々とした心象を抱くのです。
池大雅(1723-1776)の「十二ヵ月離合山水図屏風」は、左右の屏風それぞれではひと連なりの山水を描きながら、右から左へと少しずつ季節が進んでいき、十二枚で十二ヵ月を描く構成になっています。なっています、なんてさも知ったように書いていますが、実のところそれほど季節の移り変わりを感じられなくて、まあ確かに樹木の茂りは違うけどね、といった程度の感覚しか抱かなかったのですが、しかしながら、描かれた山水そのものには大変興味を覚え、ことに岩山への執着を面白く眺めました。
右の屏風は、丸みを帯びた柔らかな筆致で穏やかな景色が描かれる一方、左の屏風は、ゴツゴツとした巨石とおぼしき山々が画面の大半を占めています。この、特に左側の屏風での岩山の描き方が、とても異様に見えるのです。凹凸の表現であると思うのですが、幾重にも線を重ねていって、そもそも現実にはなさそうな風景を、より現実離れさせていきます。
時に丸みを帯び、時に鋭さを見せながら、ぐるぐると何度も執拗に描かれる岩山へのこだわりは、蕪村の描き方とは異なるように感じつつ、しかしそれでも、文人画の根底に流れる関心として、ひと連なりのものではないか。そしてそれが、遠く富岡鉄斎(1837-1924)の奇景に至るのではないか。
そんなことを考えて、一人得心した気になったのでした。