わたしは目が悪い
視力が0.01以下の人の見る世界では、映るものの全てはセルフでネオンのようになっている。もしわたしがOfficial髭男dismだったら「いつもぼやけた世界の中で君と出会えたときから、世界はバラ色に変わったんだ」と歌うことだろう。しかしあいにくのところわたしは”君”と呼べるような相手もいないし、ゆえに奇跡的に”君”の力で視力が回復したりもしない。そんな凡人のわたしが普段もっぱら力を借りているのは文明と金のもたらす利器、すなわちコンタクトレンズである。
わたしはおっちょこちょいなので、旅先に行ったりするとうっかりコンタクトレンズを忘れてしまったりする。するとどうだろう、世界のあらゆる場所はアリスも真っ青な薄らぼんやりとしたワンダーランドに早変わり、どこへいっても目を極限まで細めて不機嫌そうに見える顔で1日を過ごすことになる。こんな時わたしは「古代の人って一旦視力悪くなったら、オワリやったんやろうなあ…」とおもう。それくらいわたしは目が悪いのである。
このように視力が急激に落ち始めたのは、確か小学生高学年くらいだったと思う。暗いところで本ばかり読むという目が悪くなるコンボを決め続けたわたしは、みるみるうちに視力を低下させ、中学校に入ってそこにスマホが加わるともう手がつけられないことになってしまった。しかし弁明しておくと、わたしの周りでもスマホが日常生活に溶け込んでから視力が急激に悪くなったという人は結構多い。スマホは現代人の視力を確実に奪っている。ちゃんとした統計があるわけではないから「それあなたの感想ですよね」と言われれば、「はい、そうです」と返すしかないが、多分こう感じてる人は多いのじゃなかろうかとわたしは勝手に思っているわけである。
もしいま目の前にジーニーが現れて3つの願いのうち1つを「視力を回復させる、にするかい?」と聞いてきたらわたしは3秒くらいは悩むだろう。それくらい視力は大切なのである。マサイ族は視力が20あるというから、もしわたしがアフリカ旅行を決意することがあれば半分くらい分けてもらえないか交渉することにしよう。はたして「なんて失礼な子娘だ」と憤慨したマサイ族に追い回されるか、それとも「”戦士”の試練に打ち勝てば視力を分けてやろう」という回答が返ってくるか。わからないけれど、マサイ族の秘法によって視力を超回復させたわたしは涙を流して喜び、残りの人生で使ったであろうコンタクトの代金全てをマサイ族に支払うに違いない。
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