見出し画像

地雷拳(ロングバージョン26)

承前

「姫華……!」
 血の匂いがあたりに立ち込めていた。
 床は血に塗れ、恋一郎が崩れた柱の上に鎮座している。
 美空は目の前の現実が信じられなかった。姫華の頭は胴体を離れ、虚な表情を浮かべていた。
「美空サン!」
 破壊され尽くした室内に、ホストたちが雪崩れ込んだ。ホストたちは正面玄関の覇金の尖兵をついに倒してきたのだ。
 片目を失ったもの、腕を失ったもの、無傷なものはほとんどいなかったが、ホストたちは傷つきながらも美空を追ってきた。
「お前たち……!」
「ひ、姫華サン!!」
 ホストたちは美空以上に姫華の姿に悲嘆の声をあげた。
「歌舞伎町のホスト風情が……。一端に空手家の真似事など笑わせる」
 恋一郎が一笑に付した。
 ホストの一人が言い返そうとするのを、美空は止めた。
「俺たちの空手は本気だ」
 美空は考えた。このまま戦って時間稼ぎになるのはどれほどか。実力では圧倒的に恋一郎が上だった。
 こんな時なら彼女はどうするだろうか。
 姫華に目を落とす。答えは返ってこない。
 夥しい血液がカーペット地の床を赤く染め上げており、切り落とされた左腕が胴体に向かって曲がっていた。黒いスカートから、姫華のスマートフォンがはみ出ていた。
 修行の間の姫華を美空は思い出した。
 戦いの中、姫華が心の支えにしていたものはただひとつだった。
 ふと、馬鹿みたいな考えが頭を過ぎる。
 だが、俺に出来るのか……?
 美空の心に去来したのは、道場を後にする姫華の言葉だった。
「このままやり合うか」
「……俺たちはホストも本気だ」
 姫華のスマートフォンを拾い上げ、ショートカットを入力する。
 アルバムからの飛び先から、龍斗のシャンパンコールの動画が流れた。音量を最大にする。ユーロビートとホストのマイクパフォーマンスに合わせ、美空は叫んだ。
「……ィ〜ヨイショ!」
 先ほどよりも大きく、美空は叫んだ。
「ィ〜ヨイショ!」
 傷だらけのホスト達も倣って叫んだ。誰ともなく手拍子が鳴り出した。
「ィ〜ヨイショ!」
「ィ〜ヨイショ!」
 恋一郎が目を細めた。ホスト達の手拍子のテンポが上がる。龍斗がシャンパンを瓶ごと傾けて飲み始める。会場のボルテージが上がるにつれて、血まみれのオフィスも異様な熱気を帯び始める。
「姫華が闘ります! パーリラ! パリラパーリラ!」
「パーリラ!」
「パーリラ! パリラ!」
「ワッショイ!」
 ホスト達が声の限り叫ぶ。
 恋一郎はシャンパンコールをただ見ていた。なんだこれは。ホスト達は酩酊したように、笑みすら浮かべている。一種の呪術的な雰囲気に恋一郎は目を離せないでいた。
「恋一郎……! 俺はホストの仕事を、姫に夢を見せることだと思っていた」
「……なんだと」
「俺たちの仕事は、馬鹿みたいな夢を諦めないことだ」
 美空の視線は姫華に向いていた。
 恋一郎の目が見開かれた。
 信じられない光景が広がっていた。
 姫華の胴体が宙に浮いているのだ。流れ出した血液が意識を持ったように一方向に動く。切断された太腿が血液に導かれ、切断面へと接着する。
 右手は指が蠢き、腕の切断面を上に向けさせる。それは植物が萌芽するさまを早回しするようだった。胴体から滴る血液と、腕の切断面から伸びる血液同士が手を繋ぐ。
 ホスト達のコールはさらに高まり、最高潮に達した。
 両腕が姫華の頭を持ち上げる。王冠を被せるようにして切断面へと近づける。みちみちと肉同士が結合し合う。姫華の胸が波打った。肺に溜まった空気で押し上げられた血液が、首をぐるりと囲む赤い線から溢れ出す。赤黒いチョーカーが首を飾った。
 美空は息を呑んだ。馬鹿みたいな夢が本当に叶っていた。
「見事だ!」
「ゼイゼイ!」
「流石だ!」
「ゼイゼイ!」
 ホスト達が力の限り、喜びの叫びをあげた。
「なぜ生きている……!」
 恋一郎の顔は驚愕と怒りに満ちていた。
 姫華は応じるように、ワンピースを破り取り、背を向けた。
 引き締まった白い背筋が露わになる。そこには鋼の掌が肉に埋まりこんでいた。磨き上げられたクロームが光を反射した。
「ポモドーロの腕か!」
 姫華はポモドーロの手刀を受けたまま、身体に取り込んでいたのだ。そこに刺さるのは─マクセンティウスの─【運命の輪】のカンフーチップだった。
「そーんな、そんなァ! 死の淵から蘇った神懸かりな姫華サンから一言ォ!」
 コールとは偉業を成し遂げた主役が言葉を締めくくるものだった。
「決着をつけようか」
 姫華の眼が黄金に輝いた。
「……その首、何度でも切り落としてくれる!」
 「ィ〜ヨイショ!」ホスト達の歓声が沸き起こる中、苦虫を噛み潰したように、恋一郎の顔面が歪んだ。
 両者、迅雷のごときスタートダッシュを決める。
 姫華の拳が一歩速く、恋一郎を捉えた。
【続く】

いいなと思ったら応援しよう!

電楽サロン
ここに送られたお金は全て電楽のビスコ代として利用させていただきます。