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地雷拳(ロングバージョン16)

承前

 Club Skyの地下、空手道場では姫華と美空が修行を終えたところだった。
「かなり動けるようになってきたね」
 美空がジップロックを取り出した。袋を開けると、独特な臭いが鼻をついた。
 中にはスルメがぎゅうぎゅうに押し込まれていた。
 スルメは潰れたタイヤのように固まっている。美空は塊になったスルメに齧り付いた。
「美味しいのそれ」
「まあまあだ」
 固そうなスルメを次々と頬張っていく。顎の強さが半端ではない。
「あんた、姫に嫌われてるでしょ」
「好きなやつだけが残る」
「大した自信だ。せっかくならもっと美味しいの食べればいいのに」
 美空が首を振った。
「昔、すっごく強い空手家がいた」
「へえ」
「牛に勝つくらいだ。チップもなしに自分の力だけで角を折った人だ。その人が山籠りでスルメを食べていた」
「どうして」
「顎を鍛えるためだよ。噛む力が強くなればそれだけ生み出す力も増える」
 美空はその間もスルメを食べ続けている。
「それ、あたしも強くなるの」
 美空は相変わらず咀嚼しながら、道場の引き出しからグミを出した。
「そう言うと思って。買っておいたんだ」
 姫華は笑った。
「かなり固いからね。これなら……」
「いいよ、こっちで」
 姫華はジップロックからスルメを引き出す。
 口にいれるとなんとも言えない味がした。姫華の顔いっぱいにシワが寄った。
「やっぱりグミが」
「いい……強くなるなら……」
 姫華は手に残ったスルメを口に入れる。プラスチックのような弾力だ。姫華は顎に力を込め、一気に噛み切った。
 次の日、早朝に姫華は道場に呼び出された。
 襖を開けた時、姫華が思い浮かべたのは美術館の展示だ。
 美空は道場を改造していた。天井から大量のシャンパンボトルが紐でぶら下がっていた。紐は等間隔で天井に結んであり、几帳面さが姫華に展示物を想起させたのだ。
「これは?」
「俺が師匠から教えてもらった修行だ」
「君はボトルに当たることなく俺に勝つんだ」
 ボトルのガラスで歪んだ美空の姿が消えた。
 畳を滑るようにして蹴り上げてきた。咄嗟に避けようとするが、後ろのボトルが邪魔で後ずされない。足を引き、横に身体をずらした。
 さらに向こう側にボトルが見えた。
「遅い」
 姫華が思考を巡らせていると、顎に美空の拳が触れていた。
「もう一度いくよ」
 両者は畳の対角線上に立つ。ボトル越しの美空を見据える。姫華が再び動く。
「身体の動きを馴染ませて」
「うん」
「学んだ足運びを無意識に使えるようにするんだ」
 姫華が右足に意識を走らせた時だ。
 美空の拳が顎に触れていた。
 頭では理解しても身体がついてこなかった。空手の体捌き、相手の動き、そしてシャンパンボトルの位置。全てに意識を注がなければならない。重心を移動させる爪先が痛んだ。美空は構わず練習を続行する。ホスト姿と練習の厳しさが一致しなかった。
 姫華は美空の一挙一動に目をこらした。
 美空の動きは洗練されている。ボトルを通り抜けているように見えた。最小限の動きで距離を詰めているのだ。
 ボトルは一切揺れなかった。美空は数ミリほどしか頭を動かさずにボトルを避けていた。
「自分の間合いを覚えるんだ」
 姫華は美空の動きに倣う。やり直すうちに精度が上がっていった。止まったボトルの隙間から貫手を打った。
「いいぞ」
 美空は貫手を弾く。姫華の手がぶれ、ボトルに触れて甲高い音がした。
「今のは何が足りなかったか分かるかい」
「スピード。弾丸のような一撃で仕留める」
「そうだ。これからの相手は格上ばかりだ。速さで圧倒するんだ」
「はい!」
 姫華が次に時計を見たとき、時間が止まっているのかと錯覚した。
 時計は6時。姫華は夜を越え、次の日の夜を迎えていた。
 血が滲んでいた畳は、始まったときと同じく綺麗なままだった。
 部屋で聞こえるのは荒い呼吸だけだった。
 美空の喉元に、姫華の拳が触れていた。
「姫華。君は強くなる」
 美空は薄い唇の端を上げた。汗で濡れた髪をかきあげる。
 吊り下がったシャンパンボトルは微塵も動いていない。
 美空の胸は高鳴っていた。心臓のあたりから温かいものが湧き上がっていた。彼女のポテンシャルは十分ある。
「先生以上かもしれないな」
 美空の拳がうずいた。彼女と本気でやり合ったらどうなるのか。空手家としての血が騒ぐのを抑え込んだ。
 その時、襖がバンと開いた。息を切らしたホストの姿だ。
「ホ、ホストクラブ破りだッ!!」
【続く】

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