最終話 THE ASAXAS CHAIN SAW MASSACRE【THE ASAXAS CHAIN SAW MASSACRE】
暫くの間、お付き合いのほどをよろしくお願い申し上げます。
今日はすこぶるお天気も良くて、散歩にはうってつけのお日柄でございますね。ただ、気温もグッと高くなりますから日射病には気を付けていただきたいもんです。……まあ、このナリのあたくしが申すのも変な話でしょうがね。
おやおや、どこにいかれるんですか。はばかりに行かれるのでしたら、申し訳ございません。会場は全て裏から閂をさせていただきました。
それにしても、ずいぶんと人が集まって、浅草大笑閣の頃をつい思い出してしまいます。
たいていの噺家は、客がいっぱいだと「おおっ、これは」と気合が入るものでございます。その点、あたくしの師匠の円蘭は変わっている人で、あんまし人がいるとやる気が起きないとぼやきだすんです。
噺家なのに人が苦手なんですね。まあ、それも詰まるとこまで詰まって、「この世は人がいるから」ってんであの世に逃げちまいましたから困ったもんです。
思い返すと、どうも桜一門というのは、一癖も二癖もある噺家が多いようです。
あたくしの兄弟子で、桜蘭満という人がいました。この人は逆に人が大好きなんですね。選り好みをしないものですから、一緒にいるとついこっちまで楽しくなります。
「柳平飲みに行かねぇか」
「へいへい」
「柳平映画見に行こうぜ」
「へいへい」
「柳平300円だけ出してくれ」
「へいへい」
「柳平お足が足りなくてよ」
「へいへい」
「柳平金貸してくれや」
「いい加減しろ!」
騙されましたよ。まさか弟弟子にたかってくるとは思わないでしょう。
そんな調子なもんですから、蘭満が金を借りてない噺家は浅草にはいないんじゃないかと言われておりました。
今日いらっしゃった方も、蘭満と聞いただけで帰り出したくなる人がいると思います。それはあたくしもです。ですがあっちで今頃、六文銭をかき集めてるでしょうからね。それで勘弁してやってください。
とまあ、一門の変人紹介が続きまして、あたくしはと言いますと……、一番平凡ですね。……なにか、おかしな事を言いましたか?
皆さまには申し訳ないですけれども、桜一門で本当にあたくしが一番クセがないんです。今日は外れでございますね。本当なんですよ。
大体、噺家にもよりますが、マクラには近頃あった出来事にかこつけて始めるもんですが、最近のあたくしの生活と言いますと、穴蔵にはじまって穴蔵に終わっていました。だから、かこつけるものがありゃしない。
せいぜい壁に日付を書きつけるぐらいですね。いつ出されたかわからない飯をかっくらいましたら、壁に食器でこう、縦に一文字を彫るんです。これが、中々難しい。なにせコンクリートに、陶器でガリガリガリガリやるわけですから、はじめは疲れて仕方ありませんでした。そう考えると、扇子ばっかり持つ噺家の生活も考えものです。前座の頃に、もう少し練習しておくべきでした。
それが終われば、噺の練習です。穴蔵にいても噺家ですから。一日も休まず、稽古をつづけました。穴蔵には、時計もありませんでしたから、文字通り倒れるまで続けるわけです。辛いかと思われますでしょうが、これがそうでもないんです。
もともと、あたくしは時間管理なんて不得意中の不得意でした。朝飯だと思って昼飯を食べるなんてのはざらなもんですから、不自由はしませんでした。でも、今のご時世には合わないでしょうね。あたくしも、落語協会から残業代を頂けるんじゃないかと考えているところでございます。
と、そんなこんなしてるうちに、気がついたら30年経っていました。早いものです。その間、穴蔵では客は一人も取れませんでした。穴蔵ですんでね、モグラかオケラでも客で来るかと思いましたが、ついぞ来ませんでした。もっとアンダーグラウンドな笑いが必要だったのかもしれません。
少し失礼します。
……うっ、はあ、はあ。いや、すみません。汗が止められないもので、お見苦しいところをお見せしてしまいました。久々の照明に身体が温まりすぎたんでしょうね。歳をとったら無理はいけません。
歳をとると不得意なことが増えてしまいますね。
あたくしは30年前より身体が言うこときかなくなってきました。
五十過ぎて、そんな動くようなことがあるのかと思われるかもしれませんが、これがあるんですね。今日も、通りを歩いてたら、この通り刺されてしまいまして……。突然どてっぱらにぐっさりでした。若くて足腰の利く、京馬師匠ならひらりひらりと躱せたんでしょうが、あたくしにはとてもとても。
柄までしっかり刺さっていますねぇ……。ただ、あたくしくらいの老人になりますと、もともと腰も肩も、凝り固まってますからね。痛みに鈍感になってるんです。だから刺された時も、
「凝りが増えた!」
ってなもんでしばらく気づかなかったもんです。とんだ与太郎でしたね。こうも鈍くて遅いと、救いようがありません。
古今東西探し回ると、あたくしよりも鈍くてのろい人が昔はいたそうです。
江戸時代でございます。木曽の林で、杣夫をやっております源兵衛という方がおりました。杣夫というのは今でいう林業の方でございまして、早い話が木こりです。
この人は仲間内で、張りぼて源兵衛と呼ばれておりました。なんでこんな呼ばれ方をしているのかと申しますと、源兵衛さんは、背が七尺半もあった。おまけに腕の太さは大人の男の腰まわりぐらいあって、まあ力のありそうな見た目をしておりました。ですが、力もなければ、のろまなんですね。酒を飲むにしたって家では飲まない。
なんで力がないと家で飲まなくなるかといいますと、昔の酒屋では甕にはいった酒を、お客が持ってきた徳利に注いで売っておりました。そうすると、酒屋に行くと行く前より、酒のぶん徳利は重くなっているわけですね。
源兵衛さん、こうも徳利が重いと家に帰るまでに疲れるといって全部飲んじゃいます。
非力な張りぼて源兵衛さんでございます。林に入りますと、他の杣夫が五本切り倒すところを、源兵衛さんは一本目の半分しか切れませんでした。はじめのうちは、見て見ぬふりをしていた杣頭も、二年もこんな調子だと見かねたようで。
「おい!」
「……」
「おい! おい!」
「……」
「こっちだよ、おい! おいおい!」
「……ああ、杣頭ですかい。てっきり山の猿が騒がしいから何かあったのかと」
「馬鹿野郎! 本当に鈍い野郎だな。ちょいとお前さんに言っとかなきゃならねえことがあるんだよ」
「へえ、なんでございやしょう」
「明日から来なくていい!」
源兵衛さん、しばらく考えて顔を輝かせます。
「有給休暇でございますか」
「違う! クビだって言ってるんだよ!」
「へぇ、クビですか。……ところでどなたが?」
「お前さんだよ! まいにちまいにち木を切ってんのにちっとも上手くなりゃしねえ。俺にもな、限度ってのがあるんだよ。できないなら他をあたってくんな」
さすがの源兵衛さんでも、こう言われてしまうと分かります。
「待ってくださいよ。せめてもう一年やらせてください」
「いや、だめだ。決めたからにはだめだ」
「じゃあ、せめて一週間あれば上手くなりますんで!」
「一週間もだめだ!」
ですが、杣頭も人間です。二年も働いてくれた源兵衛さんに人情を感じました。
「仕方ねぇ。一日だけやる。一日で、上手くなったんなら置いといてやろうじゃねえか」
こうして、一日だけ猶予をもらった源兵衛さんですが、さて困りました。どうやって杣頭を納得させようかと歩いてますと、仲間の杣夫が寄ってまいります。
「おう、源兵衛さん。浮かないツラしてんな」
「……」
「おーい、ここ、こっちだよ!」
「ああ! どうもすみません。実は明日までに木が上手く切れないと杣頭に追い出されちまうんです」
「そいつは困ったな。いっちょ、教えてやろう。いいか、木を切るにはコツがいるんだ。こうして斧を担いだら、一気に振る。あれこれ考えずに幹に振りかぶるんだ」
そう言われ源兵衛さんもやってみますが、うまくいきません。そもそも斧を持ち上げるのに半時かかる始末です。
「源兵衛さん?」
「よいっっっしょ……こらっっしょ」
「ちょいと、源兵衛さん?」
「もうちょっとで上がりますんで、ふんっ……」
「もういいもういい、源兵衛さん。あんた本当に力ねぇんだな。俺じゃどうしようもできねぇよ。他のやつに頼んで……そうだ。山降りたところに徳次郎ってやつがいるんだけどよ。本ばっかり読んでおかしなものばっかり作ってる野郎らしいんだ。張りぼて源兵衛さんにも、なにか知恵を貸してくれるかもしれねぇ」
「へぇ……へぇ……徳次郎さんですね? ちょっと行ってみます」
タッタカタッタカと山を降りまして、源兵衛さんはなんとか徳次郎のところまで着きました。
「すみません、すみませーん!」
「はいよ、はいよ」
「すみません? すみませーん!」
「すぐ下にいますよ。あんたの足元に」
「ああ、徳次郎さんでいらっしゃいますか」
「はい、そうでございますが。そちらさんは?」
「杣夫の源兵衛と申します。実は相談したいことがありまして……」
「ほう……ほうほう、木を上手く切りたいと」
「そうなんでございます。どうにかいい考えがありませんかね」
「そうですねぇ……。木をたくさん切られればいいんですかい?」
「ええ、ありったけ切りてぇです」
「なるほどなるほど。ちょうど良いのがありますんで、来てください」
徳次郎がそう言いますと、家の中に引っ込みました。源兵衛さんも、ついていきますと、いたるところに歯車やら、道具が置いてあります。
「これじゃないなぁ、これでもない」
「随分とモノが多いなぁ。これはなんです?」
「ああ、それは曲尺でございます」
「曲尺? やけに真っ直ぐじゃねぇですかい」
「えぇ、絶対に折れない曲尺ですので」
「それは曲尺なんですかい。……なぁ、ところで徳次郎さん。さっきから鍬が足にくっつくんだけどよ」
「すごいでしょう。よくほれるんです」
「そういうほれるじゃないでしょうよ! 大丈夫なのかな……」
「ああ、あった、これだこれだ。源兵衛さん見てください」
「ずいぶんと大ぶりだなぁ......」
「これはね、鋸です。お寺の庭師に頼まれて作ったんですが、使われずじまいで。名前もお寺に合うようにつけたんですがねぇ」
「なんて言うんだい」
「ちえいんそう」
「なんだって?」
「知恵院僧です! 知恵に、宝蔵院の院、僧侶の僧でもって知恵院僧でございます」
「そりゃ縁起も良さそうだ。どうやって使うんだい」
「ここの取っ手を引きますと、どっどるるるん!使えるようになりますんで」
「ほうほう、いっちょやってみるか。よっ、どっどるるるるるるん!おお、こりゃすごい」
「あんまり振り回さんでくださいよ!」
源兵衛さん、勢いあまってくっついてきた鍬を切り飛ばしちゃった。
「すげぇなぁ! これなら何本でもいけそうだ。おっ、ここにもちょうどいいのがあるじゃねぇか。おお、ここにも。おお、ここにもあるな」
ばっさばっさと、切り倒します。
ばっさばっさ、ばっさばっさ、ばっさばっさ、どーーん!
徳次郎の家がぺっしゃんこです。源兵衛さんは調子に乗って家の柱を切ってたんですね。
調子乗りに道具を持たせるのがいちばん危なっかしい。源兵衛さんは、そのまま走ってくと村の家の柱をバンバン切ってしまいます。
「こんなとこにも。おお、こんなとこにも、まだまだ切れるな。おお、おお、こりゃすげぇ!」
こうなると、止まりません。源兵衛さん、今度は林に戻って、目につく木をどんどん切っていく。面白いようにポンポン切れていきます。
「うおんうおおおんううおんうううん、これも切れる!これも!これも!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!木が逃げちゃいけねえでしょうに。もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!こっちを向いて。もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!失礼しますよ。もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!ごめんなさいよ。もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!木なんだから。逃げちゃいけねぇよ。もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!すみませんね。もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!もう一本!」
……源兵衛さんが見回すと、あたり一面丸坊主。山の木という木を全部切り倒していました。それでも、まだまだ止まりません。木を探して東奔西走でございます。
「あと一本!あと一本!あと一本……!あれ?」
「源兵衛さん! 源兵衛さん! 店先で寝られちゃ困るよ!」
「ありゃ、俺は今さっきまで知恵院僧でもって、山を丸坊主に……」
「まったく、しょうがない人だね。ここは酒屋だよ! あんたが店先で何本も飲むせいで、とっくに甕は空っぽだ! 店を潰すつもりかい!」
「ええ? アッハハハハハハハ!」
「何がおかしいんでぇ」
「変な偶然もあるもんだ。どっちもキがなくなってらぁ……」
【了】
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