地雷拳(ロングバージョン19)
承前
「HG-18……グラプト」
不安定な音声で、機械頭は名乗りを上げた。空気を裂く音。拳が繰り出される。
「……ッ!」
姫華の目の前に5つの拳が現れた。膝、脾、右鎖骨、喉仏、顎をそれぞれ狙って迫り来る。
「ダラァ!」
気合いを入れる。姫華は捌ききった。美空の教えの賜物だった。
だが、すぐに素早く身を屈める。ワンテンポ遅れて小爆発が起こった。青白い光が、屈めたうなじをひりつかせた。
姫華が反撃に出る前に、白黒の拳が穿った。
ガードが間に合った。それでもダメージは全て消しきれなかった。
「やるじゃないか! 流石は覇金に楯突くだけはある!」
パンパンダが叫んだ。
姫華が一歩下がる。これまでに戦ったことのない感覚だった。
《パンパンダの【吊るされた男】には身動きの取れない男が描かれている……。おそらく彼の異常に伸びた腕は、私たちを縛るためにある……相手に試練を強いるカンフー……》
「縛るためだけなんてカンフーと言えるの?」
《覇金グループは企業。瘤川教授も筋金入りの武芸者じゃない。それにカンフーチップを異常な短期間で作ったのよ》
「つまり、当たり外れがあると?」
《ええ、でも例外はある……》
姫華はグラプトの右足首を見た。白黒の着ぐるみのような手ががっしりと掴んでいた。
「これが俺たちのカンフーだ!」
パンパンダが叫んだ。長い腕が持ち上がり、グラプトが浮き上がる。分銅がついた鎖のごとく遠心力をともない、グラプトが姫華に接近した。
ぎしゅいっぎしゅいっぎしゅいっ
歯車の恐ろしい音が大きくなる。姫華はグラプトを見据え、息を呑んだ。
グラプトは空中で絶えず拳を繰り出していた。子供の頃に見た壊れた玩具を思い出した。
グラプトが拳を振るう。遅れて小爆発が起こる。拳を振るう。また小爆発が起こる。パンパンダの腕が通った軌道上には、銀色の爆発の弧が描かれていた。
異様な音はグラプトの拳と爆発が引き起こすものだった。
互いの技を合わせた紛れもないカンフーだ。だったらこっちにも考えがある。
姫華は拳に背を向け、地面を蹴った。
「逃すか!」
パンパンダの腕が姫華を追いかける。自動販売機をコーナーに、姫華は急旋回した。
「長く伸びる腕が追いかけてくるなら、障害物には弱いでしょ!」
姫華は笑った。
腕が自動販売機に巻き付くはず。だが、予想はすぐに裏切られた。
爆発が自動販売機を吹き飛ばした。ぐしゃぐしゃになったアルミのフレームは、液体を撒き散らしながら空へと打ち上げられた。
「嘘でしょ!」
「この波状攻撃をお前は超えられるか! 如月姫華!」
パンパンダが笑う番だった。グラプトの猛攻は止まることを知らない。
「ちくしょうッ……!」
《私に任せて》
姫華の血が昇る頭の中で、姉は静かに言った。確信のこもった声は、両親がいなくなった時、姉にしがみついた夜を思い出させた。
「勝算があるんだね」
《まずは脚を止めないで。私が言う通りに走って》
「……分かった」
姫華は厚底のスニーカーで地面を踏み締める。
《右》
回るコーヒーカップの内側をすり抜ける。グラプトが通ると霰のごとく歯車や釘、ガラスの破片が飛び散った。
《まっすぐ》
姫華は振り返らない。爆破の衝撃が背中に響き、鼓膜をびりびりと震わせた。
「怖気づいたか。逃げたところで結果は変わらない! 俺たちを楽にしてくれ……!」
《左》
《右》
姉は命令し続ける。以前なら文句の一つも言ったが、今は信じようと思えた。足が自然と体を運んでいく。美空の修行の成果を実感した。
《まっすぐ》
5メートル先にはパンパンダがいた。首がこちらに向く前だった。
姉はグラプトを操るパンパンダを狙うチャンスをうかがっていたのだ。姫華は走った。
破壊音が鳴りやまない。遊園地が瓦礫の海と化した。焦らず、命令を遂行する。壊れた覇金恋一郎のオブジェが降り注ぐ地帯を突き抜けた。
「うわっ!」
床に落ちた缶が姫華の足を取った。まずい。グラプトの振りまく爆発音はすぐそばまで聞こえていた。
「ちぃっ!」
姫華は転ぶ勢いを更に加速させる。足を突き出してスライディングした。
「俺を狙うとは凡庸な……所詮は取ってつけのカラテチップか!.」
すでにパンパンダはこちらを見ていた。
姫華のスピードが減速した。姫華を追い越してデッドヒートを制したグラプトが頭上を通過した。グラプトの足を握るパンパンダの手に力がこもった。
《打って!》
言われるのと同時だった。グラプトの背に姫華は正拳突きを打ち込んだ。金属音が反響した。
くぐもった声が遠ざかり、グラプトがピンボールじみて加速した。パンパンダの腕の減速が間に合わない。グラプトの死の突進は誰にも止められなかった。
パンパンダは正面から受け止めた。撃ち込まれる拳が、パンパンダの着ぐるみを破った。
「ウォオオッ!!!」
雄たけびを上げながらもグラプトを抱擁した。だが、勢いは止まらない。もろとも背後の噴水に激突した。
姫華は姉の狙いがようやくわかった。
「なぜだ......! 待て......!」
初めに聞こえたのは、パンパンダのうろたえる声だった。
胸に抱いているのは、火に包まれた人形だった。
グラプトが光を明滅させながら、発火していた。
《グラプトのカンフーは月のカンフーチップ。不安を表す月は、強さの代償を伴うもの》
「代償?」
《グラプトは残像を残すほどの拳速だった。あれほどの速度を出せば、通常の金属のフレームは持たない》
「車椅子に乗っていたのは」
《本当にカンフーで摩耗していた。そして、攻撃の間も摩耗は続く。小爆発が起こっていたのは金属粉がまき散らされたことによる粉塵爆発......》
「グラプトをパンパンダが振り回していたのは、絶えず起こる爆破からグラプトを守ってのこと......?」
《そう。そして、それにはあまりに大きな弱点がある》
破裂音がした。炎に包まれたグラプトから火花が散った。
《水に触れることで金属粉は発火する。金属粉にまみれたグラプトの状態で水に突っ込めばどうなるかは明らかだった》
壊れた噴水が噴き上がる。燃えさかる鋼の戦士を水滴が反射して煌めいた。降り注いだ水滴は、姫華の身体を濡らした。
「……」
相手の弱点を分析して叩きのめす。姉らしい戦い方だった。
パンパンダは相棒を噴水台に横たえた。
「なるほどな……。さすがは如月姉妹だ。俺たちが至らなかった。それだけか」
「それだけ」とパンパンダは繰り返す。
「もういいでしょ。ポモドーロの居場所を」
「まだだ……」
パンパンダが掌底を突き出して構えた。伸びていた腕はいつのまにか元に戻っていた。
着ぐるみは破れ、破れた隙間から、赤い目が炯々と光っている。身体のフレームがガタついたのか、ぎぃぎぃと不協和音を奏でていた。
「俺のカンフーは……ただ腕が伸びるだけだ。兄貴……グラプトはカンフーチップのおかげで体がガタガタだ。ああ見えて俺のほうが製造年は上なんだ。でも、関係ない。グラプトの奴は口達者でな。あいつが話す馬鹿話が大好きなんだよ。今じゃ発声機関もボロボロでダンマリだがな……。吊るされた男もこれなら輝ける」
パンパンダはこちらに近づいた。
「もういいでしょ。あんたの身体はめちゃくちゃだ」
「俺だけじゃ敵わない」
パンパンダの右手の指先、黒ずんだチップが摘まれていた。
「あれは……!」
姫華が呻いた。
「二人でなら……最後まで!」
チップが炎に包まれた。パンパンダはこめかみにグラプトのチップを差し込んだ。炎が赤い弧を描く。両眼から放たれる赤光が、ルビーのごとく輝きを増した。眼窩の金属がひび割れ、血管のようにいくつもの筋が赤い筋が這った。
【続く】