根の無い目貫
目貫には大抵棒状の突起が裏側に付いている。
これを「根」というが、大別して「丸」「四角」「無根」の3種類ほどあるように見受けられる。
このように根には丸い物や四角い物などがあるが、古い物、例えば古美濃や蝦夷などはこうした根がない物がまま見られる。
こうした目貫は松脂などを埋め込んで柄に直接固定する以外に方法は無いように思うが、そうした固定方法が戦の多かった室町時代当時に主流だとしたらそもそも「根」は必要なかったのではないだろうか、と疑問にも思う。
思い返してみると不思議な事に室町時代頃と言われる古美濃や蝦夷といった目貫以降のもので、根の無い目貫を見た事がなく必ずと言ってよいほど丸か四角の根が付いている。
これはやはり刀を武器として使用する上での画期的な利便性の向上など何か理由があるからと思われるが、それについて様々な人が考察をしているものの明確な理由が明示された資料はまだ無いように感じられる。
更にややこしい事は蝦夷や古美濃でも根のある目貫がまた多いという事である。
これらは大きな括りで室町時代(一部南北朝時代)と見られているわけであるが、根のあるものと無い物でそこにはまた製作の時代差があるようにも感じられる。
もしくは視点を変えて、同時代の物であるが、はなから拵に取り付けるつもりが無い(例えば贈答品など)為に根を付けなかったのか、それとも目貫としてではなく拵の別部分に装飾として用いていた為に根が無いのか。(例えば小柄などに付けていたとか。ただそうすると鐔にあいた薄い櫃孔のものに取り付かなくなるという矛盾が生じるので可能性は低そう)
そして蝦夷目貫などの表面の鍍金が剥がれた状態のものなどの存在を考えると、前者(贈答品としての利用)は可能性が低いようにも感じる。
目貫に関してもう1つ、蝦夷や祐乗の作にも見られるが、陰陽根が長く柄を貫通するような形で陰根に陽根がぴったりはまるような目貫と目釘の用途が一体になったものがあり、こうしたものは春日大社の柏木兎腰刀(←リンク先は模造)などにも見られる。
陰陽根のものは基本的にこうした構造をしていたのではないかと見られており、そうした所からも陰陽根仕立ては古いと見られ後藤家の上三代の掟とまで言われるようになっている気がするが、祐乗のものでも陽根のみのものもある。
これは元は陰陽根であったものがバラバラになったものを後世に似た図柄を取り合わせて一対にしたという見方も出来るが、例えば東山御物の韋駄天目貫のような構造の根の先端を切り取った、という可能性も個人的には捨てきれないように感じられる。
また陰陽根の話とは違うが、以下の古金工目貫のように陽根が2つ付いたものがあり、これは上からの圧力に対する支柱としての役割、つまり補強と見る人もいる。
上記の古金工目貫で言えば、中央に大きな抜け孔がありそこに根を付けられない為に左右に配した可能性が高そうにも思うが、無根では駄目だったのか?という素朴な疑問は残る。
目貫の根には確実に何かその時代の道具としての重要な情報が隠されていると思うのだが、それが分からない自身の知識の乏しさがむず痒い。
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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)