蝦夷目貫⑪ 獅子引韃靼人図②
前回→
日刀保の鑑定書ではこの目貫の画題について「獅子引韃靼人図」、つまり韃靼人(だったんじん。モンゴル高原で活動した遊牧民族)が獅子を引っ張っている様子が描かれているとされている。
獅子というのは大名の間で愛された神獣であったが、そうした神獣をあえて抑え込むような構図は何かしら権力者への反抗心の表れか?と以前想像していたものの、なぜモンゴルの韃靼人をテーマにするのか、いまいち個人的に腑に落ちていない部分もあった。
モンゴルとの貿易、つまり日元貿易はこの目貫の製作年代とされる室町頃にはあまりされていなかった(この時代は日本にとって中国(明)との貿易が非常に重要であった為)ような印象がある為である。
という事で他の画題を表している可能性がないかと暫く調べていた所、1つ思い当たった獅子舞図の可能性について挙げたい。
以下は「信西古楽図」という古代の芸能の様子を記した絵巻物で、大陸から日本に伝わった芸能を知ることができる史料とのこと。
内容は楽器、楽舞、雑技など多岐に渡り、その中に獅子舞図もありその様子が今回の目貫の絵と似ているようにも見える。
この信西古楽図は盛んに模写されたようで成立時期は不明ながらも、上記サイトでは信西古楽図は舞楽として再編される前の原型をとどめていることから、少なくとも平安時代初期には存在し、唐時代(7〜9世紀頃)を記していると考えられている、と書かれている。
つまり目貫の製作された室町時代には既にあったといえ、特に可笑しな話にはならない。
そして目貫に描かれた人物それぞれが違う服装をしているが、その内の1人の服装もまた、ここに出て来る舞楽の衣装と似ているようにも見える。
因みに獅子舞は朝鮮から日本に仏教が伝来したのとほぼ同時期である612年に朝鮮半島の百済(くだら)の味摩之(みまじ)という人物が、今の奈良県に最初に伝えたとされているらしい。
悪魔祓い、飢饉や疫病を追い払う意味が込められているという。
そういう視点で見てみると意外に優しい顔をしている獅子の顔にも納得がいく。無理やり抑え込んでいるとすればもう少し目を吊り上げたり苦しそうな顔をしそうなものだがどうだろうか。
まぁ優しい顔というのも主観でしかありませんが。
という事で今回のこの説について今度刀屋さんに行く事があれば見解を聞いてみようと思います。
今回も読んで下さりありがとうございました!
面白かった方はいいねを押して頂けると嬉しいです。
記事更新の励みになります。
それでは皆様良き刀ライフを!
前回のブログではこの目貫の造り込みを中心に見ています。
↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?