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金無垢埋忠鐔 桜花透② サンファン号から見る繋がり

以前のブログを書いてから彦三の金無垢鐔をお持ちの方から写真を見せて頂いたところ、制作方法がやはりかなり近似していたように感じた。
細川家と埋忠家の交流なり何かあったのだろうか。

驚くことに細川家の家紋には細川桜と呼ばれる家紋もあるらしい。

画像出典:家紋のいろは


金無垢鐔の桜の透かしは埋忠らしい華やかなものとして見ていたが、これが家紋の意を含んでいる可能性はあったりするのだろうか。
だとすれば彦三の金無垢鐔と作域が似ている事についても合点がいく。
ただ茎孔あたりの造り込みは違うので今回の鐔が彦三作である可能性は低いとは思われるが、彦三作とされる鐔を埋忠が作っている可能性はなどは無きにしも非ずな気もしないわけではない。(彦三があれだけの金を贅沢に扱えたのかという素朴な疑問)

話は変わるが、そんな事を考えていると今度は更に金無垢埋忠鐔をお持ちの方から非常に良いタイミングで支倉常長がローマ教皇に謁見した際の肖像画の服装についての考察や、海を渡る際に乗ったとされるサンファン号の情報を頂いたのでご紹介させて頂きたいと思います。
前回のブログは以下。



・支倉常長のローマ教皇謁見時の服装

前回のブログでも掲載した支倉常長がローマ教皇へ謁見した際の肖像画であるが、そこに描かれた鐔は九曜紋である事が特筆される。

画像出典:支倉常長像 アルキータ・リッチ作 17世紀 イタリア・個人蔵
画像出典:支倉常長像 アルキータ・リッチ作 17世紀 イタリア・個人蔵

九曜紋というと細川家を連想するが、伊達家の家紋でもある。そして何より支倉常長は伊達家の家臣である。

しかし伊達家の代表として海を渡った割には、肖像画の服装を見ても伊達家の表紋である「竹に雀紋」や「三引両紋」が見られずぱっと見で伊達家家臣であることをあまり主張しているようには見られないと埋忠鐔所有者の方が仰っており、確かにそう言われるとそのように見える

因みに支倉常長が乗っていたとされるサンファン・バウティスタ号にも九曜紋が用いられている。
(サンファン号は伊達政宗の命を受け海を渡った慶長遣欧使節団の船。尚1993年に一度原寸サイズ(約56.8m)で復元されつつも老朽化により解体、現在はFRP(樹脂)にて4分の1スケール(全長14.2m)で宮城石巻市にて展示されている。)

画像出典:サン・ファン館


・なぜ支倉常長が海を渡ったのか

これについては明確な資料がなく正確な理由が分かっていないものの、サンファン館のサイトには以下のように記載されている。

■使節に支倉常長が選ばれたのはなぜ?
朝鮮出兵の際海外で過ごした経験や、鉄砲組・足軽組頭の経験から一行を統率する能力を評価されたという説があります。
また、一度実の父が罪を犯し、常長も仙台藩を追放されていますが、能力を惜しんだ政宗が名誉挽回の機会を与え、慶長使節の大使という大役を任されたとも言われています。
いずれにしても史料が失われているため、その真相はわかっていません。
(引用元:「サンファン館 慶長遣欧使節とは」より)

ここで気になるのは常長が一度仙台藩を追放されているという点。
可能性の域を出ないが、例えば徳川幕府に内密に貿易交渉をしようとした可能性はないのか、そしてもしバレた際にも伊達家と疑われないように表紋を用いず九曜紋を用いたりしていたのではないか。
伊達政宗は支倉常長に名誉挽回といいながらも捨て駒として海を渡らせた可能性などはないだろうか。
そして所有者の方曰く、この如何にも金を贅沢に使った刀は支倉常長のような階級のものが身に付けられるものではやはりなさそうとの事で、ローマ教皇謁見時に伊達政宗を会わせる意味で代わりとして持ったのではないかとのこと。

史実は分かりませんが、描かれた金無垢鐔や支倉常長の服装から伊達家や細川家、埋忠家など様々な事が推察出来そうでそうした意味でも金無垢鐔は非常に面白そうですね。


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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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