密輸された9000万円の刀の正体を探る
9000万円相当の価値のあるとされる日本刀の密輸が発覚しました。
Twitterではこの話題で持ち切りですね。
今回は写真からこの刀の正体を探ってみます。
まず話題になった記事はこちら。
上記は英語の記事を元にしていると思われます。元記事は以下。
内容を簡単にまとめると、スイスの関税当局が5月31日に密輸された日本刀を発見したと発表。刀は1353年に作られたもので、65万ユーロ(約9000万円)の価値があるとされる。
車内からは古文書1冊と契約書、請求書も見つかったという内容。
記事内に掲載されている写真は3枚。
今回はこれらの写真や記事の内容から刀の正体を探っていきます。
①鞘書について
さて、まずは以下の鞘書の写真から。
恐らく探山(田野邊道宏)氏による鞘書と思われます。
探山氏は現代において最も刀が視えると言われており、刀の鑑定を求めて鞘書を依頼する方が後を絶ちません。
この刀は平成16年頃に鞘書されたのものと読めます。
写真と反対面に刀工銘や作風についてびっしり書かれていて収まらなかったので鞘書きが反対面に及んでいると思われます。
②年期について
次に1353年というと文和二年、もしくは正平八年です。
ピンポイントで言い切っている事から年期が刀に刻まれていると予想します。
そして9000万円という価格帯。
刀としてはかなり高額な部類で重要文化財あたりではないかと予想。
そして文和二年頃の代表刀工で9000万円位行きそうな刀工で考えてみると、備前長船兼光あたりが挙げられます。
という事でまず文和二年の兼光作があるかを探ります。
因みに刀身の写真も見てみます。
映りのようなものも見えている気がします。
帽子は殆ど見えませんが一応兼光のようにも見える気がします。
という事でまずは行方不明の文化財リストから幅広く文和二年の年期のはいった刀があるかを見てみます。これで見つかれば楽なんですが。。
因みに文和二年頃の刀工でいうと兼光や義景、信国、広光、三原正家などがいます。
結論から言えばありませんでした。
因みに行方不明ではないですが、近い年紀の作はありました。
文和4年の兼光の作(一国兼光)です。二二年と書いて4と読みます。
「四」と言う字は縁起が悪いくこのように書かれたと聞いた事があります。
言わずもがな今回密輸された刀とは一切関係ありません。
という事で文和二年期のもので指定品は見つかりませんでした。
残念。
③車内の古文書
次に車内から見つかったとされる古書2点について写真が載っています。
これも有力な情報の一つです。
右は「今村押形」と書いてあるように思えます。
左の本は「日本刀工事典」でしょうか。
恐らくですが、この2冊に所載されている刀という事が想定されます。
まず日本刀工事典を見ると、文和三年らしき兼光が載っていました。
(おしい)
ということで国会図書館デジタルで今村押形を調べて見ます。
が、これも有力な情報は掴めませんでした。
ここで行き詰まり。
9000万円という金額帯は重文以上の兼光くらいしか行きそうにない気がします。刀身の形からしても信国や広光だったら彫り物などももう少し多い気もしますし、そもそも広光の長い刀はあったっけ?という感じ。
あとは三原あたりでしょうか。
しかし9000行くとは思えない。
うーん、行き詰まり。
という事で一旦9000万円を忘れて、調査の範囲を重要刀剣指定のものにまで広げると、三原正家の作で文和二年期の物があり、刃長も二尺七寸で約80㎝と辻褄が合うのでそれではないかと感じる次第。
しかし、刀工事典や今村押形との関連性が無い。
まして9000行くとは全く思えない。
謎である…。
私は見つけられなかったのですが、もし今村押形など文和二年期の物があれば是非教えて下さい。
という事で最後はこれかな?という三原の作を載せておしまいです。↓
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